テモテ(てもて)

(1)テモテの出身地は、小アジヤのルカオニヤ地方のルステラです。ギリシヤ人を父とし、ユダヤ人を母として生まれました(使徒16:1、3)。

(2)彼は、祖母ロイスと母ユニケより信仰を受け継ぎました(Ⅱテモテ1:5)。また、幼い時から聖書教育を受けています(Ⅱテモテ3:15)。

(3)パウロの第2回伝道旅行で、パウロはテモテを同労者に選びました(使徒16章)。当時テモテは、20歳前後であったと思われます。

(4)テモテは、パウロの伝道旅行に同行したり、パウロが去った後も伝道地に留まって働きを続けたりしています(使徒17:14、Ⅰテサロニケ3:2、6)。あるいは、パウロの代理人として諸教会に派遣されることもありました(Ⅰコリント4:17、16:10)。

(5)パウロの手紙のうち六つにおいて、テモテは共同執筆者としてその名を連ねています(Ⅱコリント、ピリピ、コロサイ、Ⅰテサロニケ、Ⅱテサロニケ、ピレモン)。

(6)パウロはテモテに、「年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい」(Ⅰテモテ4:12)と書き送っていますが、当時のテモテは、30代後半から40代前半になっていたと思われます。

(7)パウロの殉教後もテモテは忠実に使命を果たし、エペソ教会の初代の監督として奉仕しています。その後彼は、ドミティアヌス帝の迫害の時に殉教したと伝えられています。

出典:クレイ聖書解説コレクション「テモテへの手紙第一・第二、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙」