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今日の聖書の言葉

ユダヤ人は呪いを受けた民なのでしょうか。

イエスの裁判の場面で、ユダヤ人の民衆は、ピラトに向かってこう叫びました。「すると、民衆はみな答えて言った。『その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい』」(マタ27:25)。この聖句の意味を教えてください。

先ず、イエスを十字架につけた責任が誰にあるかを確認しておきましょう。①その責任は、ユダヤ人の指導者たちにあります。②また、指導者たちに扇動されて、軽々しく「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」と叫んだユダヤ人の民衆にも、責任があります。③さらに、イエスが無罪であることを知りながら、ユダヤ人たちを恐れて有罪宣言を下した総督ピラトにも責任があります。彼は水で手を洗いましたが、それによって彼の罪が消えたわけではありません(使徒の働き3章で、ペテロはピラトの名を上げています)。④最後に、イエスを実際に十字架に付けたローマ人たちにも責任があります。

 もっと言えば、イエスが私たちの罪の贖いのために死んでくださったとするなら、私たち全員にその責任があるということになります。

 以上のことを前提に、マタイの福音書27:25の意味を考えてみましょう。

 

(1)福音書の中では、マタイだけが「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」というユダヤ人民衆の言葉を記録しています。この言葉によって、その世代のユダヤ人たちは完全に、そして最終的に、メシアであるイエスを拒否しました。マタイだけがこの言葉を記録している理由は、彼が「赦されない罪」(マタイの福音書12章)の結果を追いかけている唯一の福音記者だからです。「赦されない罪」とは、イエスと同時代のユダヤ人たちだけが犯せるもので、イエスのメシア性を拒否する罪のことです。

 

(2)この言葉の成就は、紀元66~70年にやって来ました。ユダヤ人の反乱が66年に起こり、エルサレムが70年に崩壊しました。この時ユダヤ人たちは、国家的な壊滅を経験し、その影響はその世代のユダヤ人の子どもたちにも及びました。かくして、その時代のユダヤ人たちは、自らの上に招いた呪いの刈り取りをしました。

 

(3)教会史の上では、マタイの福音書27:25は反ユダヤ主義を正当化するために誤用されてきました。「ユダヤ人はイエスを十字架に付けた民なので、神の呪いを受けている」、「ユダヤ人がホロコーストのような苦難に会う理由は、マタ27:25の言葉のゆえである」、「ユダヤ人は今も、自ら招いた呪いの下にいる」、などなど。しかし、異邦人クリスチャンによるこのような反ユダヤ的解釈は、釈義上問題です。

①すでに述べたように、マタイがこの言葉を記録している理由は、「赦されない罪」の進展とその結果を追跡するためです。この言葉は、紀元70年にエルサレムが崩壊した時に、すべて成就しました。

②マタイの福音書27:25を反ユダヤ主義の根拠に利用することは許されません。著者の意図を考えることによって、この聖句の正確な意味が解釈できるようになります。マタイは、エルサレム崩壊を予感しているのであって、エルサレム崩壊以降の約2千年にわたる反ユダヤ主義の歴史を正当化しているわけではありません。もしマタイが、異邦人クリスチャンはこの聖句を用いてユダヤ人迫害を正当化してきたことを知るなら、深く悲しむにちがいありません。

 

 もし私たちが、マタイによる福音書27:25を根拠に、ユダヤ人が苦難の中を通過するのは当然だと考えたことがあるなら、神の前にその罪を告白する必要があります。

(答えた人:牧師 中川健一)

もっと詳しく知りたい方は

▼イエスと同時代のユダヤ人だけが犯す事が出来た「赦されない罪」に関連する聖書箇所の解説です。

マタイの福音書(27前半)

マタイの福音書(27後半)

 マタイの福音書(12)