地蔵が置かれている場所がありますが、そこには悪霊がいるのでしょうか。

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私の家の近くに、地蔵が置かれている場所がありますが、そこには悪霊がいるのでしょうか。また、クリスチャンは、神社仏閣に近づかない方がよいのでしょうか。

私は大阪出身ですが、子どもの頃、街角にいくつもの地蔵が置かれていたことを覚えています。地蔵盆になると、お菓子がもらえるので、楽しみにしていました。もちろん、クリスチャンになってからは、それが間違いであることが分かりました。地蔵は、正式には地蔵菩薩と言います。一般的には「子どもの守り神」と認識されており、親しみを込めて「お地蔵さん」と呼ばれたりします。

さて、その地蔵に悪霊が宿っているかどうかですが、答えは「否」です。偶像は石や木や金属などでできた「物」です。聖書には、悪霊が「物」に宿るという教えはありません。そう考えるのは、アニミズム(自然のすべてに精霊が宿っているとする原始宗教)の世界観の影響です。

聖書に悪霊が登場する時は、生きているもの(人間や動物)に憑いているか、単独で存在しているかのいずれかです。この点で参考になるのが、コリント人への手紙 第一8:4です。

「そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています」

ここでパウロは、偶像には実態がないのだから、市場に出回っている肉に関しては、偶像に捧げられた肉かどうかを詮索しないで食べてよい、と教えています。しかしパウロは、偶像の宮で、偶像礼拝の一環として肉を食するなら、それは悪霊と交わることだとも言います。

「いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません」(コリント人への手紙 第一10:20)

以上の2つの聖句から、①偶像そのものを恐れる必要はない、②しかし、偶像礼拝に係るなら、それは悪霊との関係につながる、ということが分かります。

占いや魔術の本などについても、そこに悪霊が宿ることはありません。しかし、そこには邪悪な情報が書かれており、悪霊がそれを用いて人を誘惑する危険性はあります。信者になったなら、そのような邪悪な本を捨てるのが得策であることは言うまでもありません。

神社仏閣に近づくことに関しては、両極端を排除するのがいいと思います。つまり、不必要に近づくことも、過度に恐れることも戒めるということです。

キリストにある者(信者)は、霊的に目をさましている必要があります。

「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」(ペテロの手紙 第一 5:8)

しかし、悪霊を過度に恐れる必要はありません。神に従って生きることこそ、重要なことです。主イエスの弟のヤコブは、

「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブの手紙 4:7)

と教えています。使徒ヨハネも、私たちに励ましの言葉を送ってくれています。

「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです」(ヨハネの第一の手紙4:4)

最後に、パウロの次の言葉に注目しましょう。

「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい」(テモテへの手紙 第二2:8)

私たちが心を留めるべきは死者の中からよみがえったイエス・キリストです。もしキリスト以上に悪霊に関心が向いているとしたら、それは霊的に不健康な状態です。

答えた人:牧師 中川健一