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今日の聖書の言葉

そもそも、「救われる」とはどういうことですか。

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長年聖書を学んでいますが、どうすれば救われるのか、よく分かりません。そもそも、「救われる」とはどういうことですか。クリスチャンの友人たちに聞いても、あいまいな答えしか返ってきません。教えてください。

大切な質問をしてくださり、感謝します。

(1) この質問をされること自体が、すでに救いを受ける準備ができていると考えられます。自己充足している人(自分は善人だと思い込んでいる人)からは、この質問は出て来ません。自分は今のままではいけない、救われる必要がある。無意識的でもいいのですが、そのように感じていることが、救いを受ける背景、あるいは文脈になります。そういう人が聖書を読み始めると、より鮮明に自分の欠点や罪を認識するようになります。これは辛い経験ですが、救いに至るプロセスとしては素晴らしいことです。

(2)「救われる」とは、「神の怒りから救われる」ということです。聖書を読むと、神の義と聖の規準が、いかに高いものであるかが分かります。それが分かると、自分の行いによって救いを得ようとすることが、いかに愚かなことであるかが分かります。伝道メッセージの中で、私はよく「この中で泳げる方は手を上げてください」とお聞きします。すると、勢いよく手を上げる方が何人もおられます。「どれくらい泳げますか」と聞くと、たいていは100か200メートルです。まれに何キロでも泳げるという猛者もいます。また、10メートルくらいで手を上げる前向きな方もおられます。そこで私はこう言います。「泳げますかと聞いたのは、日本の太平洋岸からアメリカの西海岸まで泳げますかという意味でした。そういう方は手を上げてください」。すると、爆笑が起こります。神の基準は、太平洋を横断するかのような壮大なものです。それに対して、私たちの規準は岸辺で水と戯れるようなものです。神と私たちの間に、超えることのできない淵が横たわっています。これが分かると、一方的に赦していただかないと、自力ではどうすることもできないことが分かります。一方的な赦しを「恵み」と言います。ゴスペルソングの「アメイジング・グレイス」は、そういう神の「恵み」を体験した人の感謝の歌です。

(3) 「福音」とは、「良い知らせ」、「グッドニュース」のことです。福音は、人間が考えたものではなく、神が啓示してくださったものです。いわば「made in heaven」なのです。そのため、人間的な思索の延長線上でしか物事を考えられない人には、難解です。しかし、純真な心(これを幼子のような心という)で福音に耳を傾けるなら、これほど単純で、愛に満ちたメッセージはありません。「神様は、ひとり子イエスを犠牲にするほどに、あなたを愛しておられる」というのが、福音の神髄です。この福音に応答する方法は、信仰しかありません。つまり、「アーメン(その通り)」とうなずくしかないということです。

(4) 福音には3要素があります。どれひとつ落としても、福音ではなくなります。

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、…」(コリント人への手紙 第一15:3~4)

①イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架にかかり、死なれた。
②死んで墓に葬られた。
③そして、3日目に死者の中から復活された。この3要素を受け入れ、イエス・キリストをそのようなお方として信頼する、つまり、「イエス・キリストは今も生きていて、私を救うことができる」と信じることです。これが、恵みにより、信仰によって救われるということです。これ以外に、罪人である私たちが救われる方法はありません。

 

神の愛を受け取る決心のできた方は、こう祈ってください。

「天の父なる神さま。私は罪人でした。私の罪はあなたの恵みによってしか解決されません。私は、イエス・キリストが私の罪のために死なれたこと、墓に葬られたこと、3日目に復活されたことを信じます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン」

もっと詳しく知りたい方は

キリスト教でいう救いとは、なんですか?

人はどうすれば救われるか

難易度はかなり高めの上級者向き教材ですが、ユダヤ教と聖書に精通したアーノルド・フルクテンバウム博士による論理的で明確な解説がなされています。