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今日の聖書の言葉

十字架のことば(3)―第2のことば:救いを約束することば―

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第2のことば:救いを約束することばの意味について考えます。

まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、私とともにパラダイスにいます。ルカの福音書 23:43

スピーカー:中川健一

聖書箇所:ルカの福音書 23:35~43

収録日:20121106

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1.はじめに

(1)「十字架のことば」には7つある。

①前半:午前9時から正午までの間の3時間
*3つのことば
*他人に関するものである。

②後半:正午から午後3時までの間の3時間
*4つのことば
*自分に関するものである。

(2)第1のことばは、赦しの祈りである。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)

(3)第2のことばは、救いを約束することばである。

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)

 

2.アウトライン

(1)十字架を取り巻く人々
(2)十字架に付けられたイエス
(3)イエスを見る2つの目―①不信仰の目
(4)イエスを見る2つの目―②信仰の目

3.結論:このことばの現代的意味

このメッセージは、第2のことばの意味について考えるものである。

 

Ⅰ.十字架を取り巻く人々

 

1.民衆

「民衆はそばに立ってながめていた」(ルカ35節a)

 

(1)過越の祭りのためにエルサレムに来ていた。

傍観者(ぼうかんしゃ)野次(やじ)(うま)

(2)リーダーコンプレックスを持った者たち

①状況に流されやすい者たち
②彼らの多くが、その数日前に、イエスを熱狂的に歓迎した人々である。

 

2.指導者たち

「指導者たちもあざ笑って言った。『あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ』」(ルカ35節b)

(1)指導者たちとは、祭司、長老律法学者、などである。

①彼らの判断で、国の方向性、運命が変わる。

(2)彼らは、イエスをあざ笑った。

①彼らは一度も、直接イエスに呼びかけていない。
②イエスを第3者として扱っている。

(3)2重のアイロニー(皮肉、当てこすり)がある。

①自分を救ってくださる方を、あざ笑っている。
②あざけりの言葉は、サタン的である。
③もし、本当にメシアであるなら、自分を救わせたらよい。(Let him save himself.)

(4)荒野の誘惑でのサタンの言葉

①「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」(マタ4:3)

②「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから」(マタ4:6)

3.兵士たち

「兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、『ユダヤ人の王なら、自分を救え』と言った」(ルカ36〜37節)

 

(1)酸いぶどう酒は、喉の渇きを(いや)し、鎮痛効果をもたらす。

①これは、憐みの行為のように見える。
②しかし、兵士たちは「あざけり」の行為の中でこれを行っている。

 

(2)これは、預言の成就となっている。

「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました」(詩69:21)

(3)「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。

①これは、イエスの罪状である。
②これを材料に、イエスをあざけった。
③ローマ兵たちには、統治しにくいユダヤ人への反発があった。
④彼らの場合は、イエスに向かって言葉を発している。

 

Ⅱ.十字架に付けられたイエス

 

1.イエスの犠牲を思え

(1)イエスの受肉

①イエスの辱めは、誕生の時から始まっている。
②神のしもべとしてのイエス

(2)十字架は、辱めのクライマックスである。

①イエスは、罪人の間に数えられた。

2.イエスの力を思え

(1)イエスは、死に行く途上においても、人を救うことができた。

①十字架上の第一のことばは、「赦しの祈り」であった。

3.十字架の皮肉を思え

(1)あざけりは、十字架刑の苦痛の一部である。

①そこにいた人たちは、もしメシアなら自分を救えと言った。
②もしイエスが自分を救ったなら、人類を救うことができなくなる。
③もしイエスが十字架から降りたなら、メシアではないことになる。

 

(2)「『これはユダヤ人の王』と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった」(ルカ38節)

①これは罪状書きである。
②ヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった(ヨハ19:20)。
③そこにいた人たちは、王が殺され、その王国を失おうとしている、と考えた。
④しかしイエスは、死ぬことを通して、全人類の王になろうとされた。

 

Ⅲ.イエスを見る2つの目―①不信仰の目

 

1.真理が見えていない目

「十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え』と言った」(ルカ39節)。

 

(1)悪口を繰り返し言った。

(2)「あなたはキリストではないか」は、肯定的答えを想定した質問である。

①一見、信仰深そうに見える。
②しかし、「自分と私たちを救え」という言葉が、彼の本心を表している。

2.この犯罪人(強盗)の問題点

(1)彼が願っているのは、脱獄(だつごく)と同じレベルのことである。

(2)ご利益信仰の限界

①病の癒し、困難からの脱出、繁栄の約束
②それが叶えられたなら、神のことは忘れてしまう。

 

Ⅳ.イエスを見る2つの目―②信仰の目

 

1.真理が見えている目

「ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ』」(ルカ40〜41節)

 

(1)マタイとマルコによれば、最初は2人ともイエスに悪口を言っていた。

(2)しかし、途中で彼は、悔い改めた。

①赦しの祈りを聞いた。
②黙って苦痛と辱めに耐えているイエスの姿を見た。
③相棒の(みにく)い姿の中に、自分を見た。
④間もなく神の裁きの前に立つのだから、これ以上罪を重ねるなという忠告。

(3)彼は、「だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ」と言った。

①イエスは、自分がメシアであると主張したので、十字架刑に処せられている。
②イエスは、ご自分が主張された通り、メシアである。

2.信仰告白

「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」(ルカ42節)

 

(1)彼の信仰の内容は、不鮮明である。

①「御国」とは、メシア的王国(千年王国)である。
②直後の祝福を期待したのか、裁きの日における祝福を期待したのかは、不明。

(2)しかし、イエスがメシアであることは明確に信じた。

①この犯罪人が、一番すぐれた信仰を発揮した。
②ユダヤ教の指導者たちよりも、すぐれた信仰
③イエスの弟子たちよりも、すぐれた信仰

3.イエスの回答

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ42〜43節)

 

(1)この犯罪人の不完全な信仰が、祝された。

①イエスは、直後の祝福を約束された。
②「きょう」とある。

(2)「わたしとともにパラダイスにいます」

①死者の魂が行く場所は、シオール(よみ)である。
②そこは、2重構造になっており、義人の魂はシオールの祝福の場所に行く。
③その祝福の場所は、「アブラハムのふところ」(ルカ16:22)と呼ばれる。
④そこが、パラダイスである。
⑤イエスの昇天によって、パラダイスは天に引き上げられた。
→参考画像

 

結 論:このことばの現代的意味

1.決断の重要性

(1)わずか数メートルの距離にいた2人の強盗の運命は、永遠に分かたれた。

 

2.信仰による救い

(1)彼には、業による救いは不可能であった。

(2)彼は、信仰によって救われた。

 

3.決断するのに、遅過ぎることはない。

(1)若い時にキリストを信じるのが最善である。

(2)しかし、決断するのに、遅すぎることはない。

(例話)父の救い

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