私の知り合いが、「聖化はある時点で起こるものであり、それが起こると、はっきりと自覚できる」と言いました。私にはそのような体験がありません。聖化について教えてください。
先ず理解しておきたいのは、聖書が教える救いとは何かということです。聖書の救いとは、何よりも「神の怒り」からの救いです。ある人たちが教える普遍的救いの教理(すべての人が救われるという教え)は間違っています。聖書は、福音を信じた人だけが救われると教えています。福音には3つの要素があります(キリストが私たちの罪のために死なれたこと、死んで葬られたこと、3日目に復活されたこと)。これ以外に別の要素を加えることは、福音を異質なものにすることです。
ところで、聖書が教える救いには、次の3つの段階があります。
①義認。これは、過去形の救いです。神との関係が正され、罪責からの解放を得たということです。義認は、福音を受け入れた瞬間に起こります。
②聖化。これは、現在進行形の救いです。聖化とは、罪の力からの解放です。信仰によって義とされても、内面には罪の性質が残っています。それが処理されるためには、長い時間がかかります。パウロは、ローマ人への手紙7章で、自力で聖化を求める人の苦しみについて語っています。さらに、ローマ人への手紙8章で、聖霊によって内面が聖化される喜びについても解説しています。私たちが求めるべきは、もちろん、聖霊による聖化です。
③栄化。これは、未来形の救いです。つまり、聖化が完成した状態が、栄化です。
さて、冒頭の聖化についての質問にお答えすると、「聖化とは、ある時点で起こるものであると同時に、継続して起こり続けるものである」と言えます。ただし、「私は〇年〇月〇日に聖化された」というような体験がなくても、不安に思う必要はありません。大切なことは、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント人への第二の手紙5:17)という聖句を信じ、キリストに留まり続けることです。聖化もまた、信仰により、恵みによって実現します。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです」(ヨハネによる福音書15:5)
(答えた人:牧師 中川健一)
もっと詳しく知りたい方は
福音の三要素とは何かが詳しく語られています。
ローマ人への手紙の解説、22回以降には多くの義認・聖化・栄化に関するものがあります。難易度は高めで上級者向きですがご参考までにどうぞ。