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聖書を読むのに、なぜ解釈学が必要なのですか。

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友人から、聖書を読むのに解釈学はとても重要だということを聞きましたが、なんだか難しそうです。ただ単に聖書を読むだけではいけないのですか。なぜ解釈学が必要なのですか。

「解釈学」というと、何か難しそうに聞こえますが、実は私たちは、日常生活においてすでに解釈学を実践しています。隣人とのコミュニケーションは、解釈学の原則を適用することによって成立しています。また、私たちが手にし、耳にするあらゆる情報の判断や理解は、解釈学の原則を適用した結果得られるものです。

 よく言われるのは、解釈学は科学であり、かつ芸術であるということです。規則を確立し、それを分類するのは、科学的営みです。諸規則を実際の情報に適用するのは、芸術的作業です。その解釈が正しいかどうかを判定する基準は、それが字義通りの解釈になっているか、著者の意図通りの解釈になっているか、などです。

 

 ここで、聖書を読む際に解釈学が必要である理由を述べておきます。

(1)聖書の著者と私たちの間には、時間的隔たりがあります。

 当時の読者にとっては当然のことが、21世紀に生きる私たちには、意味不明ということがたびたび起こります。それゆえ、そこに書かれていることの歴史的背景を知る必要があります。

(2)文化的隔たりがあります。

 聖書は、ユダヤ文化という文脈の中で書かれています。それゆえ、当時の風俗、習慣、言語を知る必要があります。ユダヤ的読み方が重要だというのは、そういう意味です。

(3)地理的隔たりがあります。

 預言者たちの預言も、イエスのたとえ話も、パレスチナの地形や気候を前提に語られたものです。それゆえ、聖地の地形、気候などを理解する必要があります。

 

 私的解釈や異端的解釈は、すべて解釈学の原則を無視した結果生まれるものです。そういうわけで、聖書を正しく理解するためには、解釈学の原則がどうしても必要なのです。「著者は何を伝えようとしたのか」、「それを聞いた人は、その言葉をどう理解したのか」。この2つの質問を自分に課すだけで、私的解釈や異端的解釈から守られます。

(答えた人:牧師 中川健一)

もっと詳しく知りたい方は

創世記(1)―初めに―

ヘブル語の原文の意味を確認しながら、創世記全体を見渡している解説箇所です。

ローマ人への手紙(13) ―すべての人は罪人―

ローマ人への手紙を書いた、パウロの表現方法が、ユダヤ文化を背景にしたものであることが分かる箇所です。ユダヤ的であるとは、どんな事なのか見てみましょう。

マタイの福音書(5) 山上の垂訓(1)

聖書を読むときに、どうやって解釈していくべきかを具体的に追っている解説箇所です。