2018

10.19

ディスペンセーショナリズムとは何か(3)

 ディスペンセーショナリズムの解説の3回目である。ディスペンセーショナリズムの3つの特徴とは、以下のものである(チャールズ・ライリー博士)。①聖書の字義通りの解釈、②イスラエルと教会の一貫した区別、③聖書が書かれた目的は「神の栄光」であるという認識。聖書を字義通りに解釈した結果、7つのディスペンセーションの存在が認識されるという点は、すでに学んだ。今回は、7つのディスペンセーションの土台となる「8つの聖書的契約」について解説する。

聖書的契約とは、聖書を字義通りに解釈した結果見えてくる諸契約のことで、ディスペンセーショナリズムには不可欠の契約である。聖書的契約に対抗する概念が、神学的契約である。これは、神学的枠組みに沿った形で最初から想定される契約で、契約神学では、通常3つの神学的契約を想定する(行いの契約、贖いの契約、恵みの契約)。聖書的契約と神学的契約には、大きな差がある。

 

8つの聖書的契約の分類

 8つの聖書的契約を分類すると、条件付契約と無条件契約に分かれる。この区分は、聖書全体のメッセージを理解するために極めて重要なものである。

(1)条件付契約の内容と特徴

①条件付契約は、神と人との間の双務契約である。つまり、契約の当事者双方が権利と義務を有する契約で、私たちが日常経験する契約のほとんどがこの種の契約である。

②「もしあなたが○○するなら」という形式で結ばれる契約が、それである。つまり、契約の祝福に与るためには、契約条項を守る必要があるというのである。

③条件付契約では、人間が契約条項を守るという条件で、神の祝福が下る。契約条項に違反した場合は、裁きが下ることが多い。つまり、人間がどのように応答するかによって、祝福か呪いかが決まるということである。

④8つの聖書的契約の中には、条件付契約が2つある。エデン契約とシナイ契約(モーセ契約とも言う)がそれである。

 

(2)無条件契約の内容と特徴

①無条件契約は、神と人との間の片務契約である。つまり、神だけが責務を有するという契約である。

②「わたしは○○する」という形式で結ばれる契約が、それである。つまり、人間の側に契約不履行があっても、この契約が破棄されることはない。神の恵みによって、祝福が保障されているからである。

③無条件契約の中には、契約の当事者が実行すべき条項も出てくる。しかしそれは、契約の当事者として感謝の心から行うべきものであって、祝福が下るための条件ではない。もしそうなら、この契約は、条件付契約となってしまう。

④8つの聖書的契約の中には、無条件契約が6つある。アダム契約、ノア契約、アブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約(新約)がそれである。

 

神とイスラエルの契約

 8つの聖書的契約の中には、神がイスラエルと結んだ契約が5つある(条件付契約が1つ、無条件契約が4つ)。

 (1)神がイスラエルと結んだ条件付契約は、シナイ契約のみである。

①条件付契約であるシナイ契約は、いつか終わる(破棄される)。

 

 (2)神がイスラエルと結んだ無条件契約は、4つある(アブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約)。

①これらの契約は、字義通りに解釈せねばならない。それが神の意図を正しく知るための唯一の方法である。

②これらの4つの契約は永遠の契約であり、時の経過によって変更されたり、破棄されたりするものではない。つまり、イスラエルの不信仰や罪のゆえに破棄されるものではないということである。

③ローマ9:4は、4つの契約の存在を前提に書かれている。

「彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約(複数形)も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです」

④エペソ2:11~12によれば、クリスチャンでない異邦人は、「約束の契約については他国人」である。

「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約(複数形)については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした」

 

 8つの聖書的契約の具体的内容は、次回取り上げることにするが、ここでは、無条件契約の条項に関する注意点を3つ上げておく。

 ①無条件契約が結ばれると、ある条項はすぐに有効になる。

 ②また、ある条項は、近い将来有効になる。

 ③さらに、ある条項は遠い将来有効になる(今日でも成就していないものもある)。

月刊ハーベスト・タイムvol.389より引用

(続く)