2015
07.15
ゴスペル 「アメイジング・グレイス」の歌詞から聖書を学ぶ(2)
時代を超えて愛される名曲、「アメイジング・グレイス」には、聖書の中でも大切な概念がたくさん詰まっています。前回の記事では、タイトルにもなっている、「驚くばかりの恵み」に注目しました。今回は、「かつては迷っていたが、今は見つけられ」という部分についてご紹介します。
Amazing grace how sweet the sound
驚くばかりの恵み なんと甘い響きだろう
that saved a wretch like me!
私のように惨めな者を救って下さった!
I once was lost but now am found,
かつては迷っていたが、今は見つけられ、
was blind but now I see.
かつては盲目だったが、今は見える。
聖書では、神様と私たちの関係を羊飼いと羊に例えます。イエス・キリストもいなくなった羊というたとえ話をしました。
あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。(ルカの福音書15:4)
また、ダビデ王も「【主】は私の羊飼い」という表現をしています。
23:1 【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(詩篇23:1〜4)
この詩篇の解説はこちらです。
この曲が多くの人に愛されるのは、「自分もかつては迷える羊だった…でも【主】に見つけてもらった!」と、歌う人々が賛美できるところにあるのです。