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第8課「羊として」(前半)

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)

 聖書は、神と私たちの関係を、羊飼いと羊にたとえます。羊が持っているいくつかの特徴を考えると、それも、なるほどとうなずくことができます。私たちも羊と同じように、良い羊飼いを必要としているからです。(セッション前半)


第8課の絵の概念

第8課「羊として」

1. 岩場で危険な状態にある羊たち:導きを誤って受け取ると、重大な失敗につながります。

(1)恐れている羊:失敗を恐れると、失敗します。
(2)目かくしをしている羊:定まった自分の計画に固執すると、失敗します。
(3)サングラスをした羊:導きについて無知な人は、失敗します。

2. 1本の道を歩む羊たち:神の御心を歩む人々は、祝福を受けます。

(1)聖書の門:「みことば」によるうながし
(2)祈りの門:「祈り」による平安
(3)羊飼いの杖の門:「状況」による確認
(4)道ばたの羊たち:「信仰の友」による助言

3. 空に映った像と湖面の影:導きに関するその他の一般原則

(1)子羊をだくイエス:主への信頼
(2)湖面の影:御心を行いたいという願い
(3)ランプ:一歩一歩の原則
(4)天秤ばかり:理性的判断

4. 3つに分かれた道:自由の子の原則

スピーカー:中川健一

聖書箇所:ヨハネ10:10

収録日:20080825

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イントロダクション

 聖書は、神と私たちの関係を、羊飼いと羊にたとえます。羊が持っているいくつかの特徴を考えると、それも、なるほどとうなずくことができます。
 ・羊は、臆病です。
 ・羊は、外敵の攻撃に弱い。
 ・羊は、食物と水を絶えず必要としています。
 ・羊は、集団行動に走りやすい。
 ・羊は、肥りすぎると危険な状態になります。
 ・羊は、判断力に欠ける場合があります。

 このような羊の性質は、そのまま彼らが良い羊飼いを必要としていることを表しています。
 イエス・キリストは、私たちこそそのような羊であることを理解し、次のようにお語りになりました。

「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)


1. 導きを誤って受け取ると、重大な失敗につながります。

 神は、一人一人の人生に計画をお持ちですが、すべての人が、その計画を発見し、祝福のうちを歩んでいるわけではありません。導きを確認することは、祝福された人生の基本的な条件ですが、そこには、導きの原則を学ぶという科学性があり、その原則を適用するという芸術性があります。

(1)失敗を恐れると、失敗します。
 恐れには、信仰と同じくらいの力があります。それは、否定的な方向に働く力です。恐れは、人を縛り、喜びを奪い去ります。そして、多くの場合、それは、サタンから来ています。
 私たちが最も恐れなければならないのは、「失敗への恐れ」によって、為すべきことができなくなることです。

(2)定まった自分の計画に固執すると、失敗します。
 欲しいものを買ってもらえないで、駄々をこねている子どもを見たことがありますか。人間の親は、しぶしぶそのような要求に応じることがあっても、神はそうではありません。最初から自分の計画を持って神に近づいても、導きを発見できるものではありません。

(3)導きについて無知な人は、失敗します。
 導きの原則について学ぼうとしない人は、免許証なしに車を走らせる人のようなものです。あらゆる所に危険が待ち伏せしています。

 

2. 神の御心を歩む人々は、祝福を受けます。

 神は、一人一人のために、祝福の道を用意していてくださいます。どんな問題の中にも、絶望の中にも、必ず祝福の道が一本あります。これが、私たちがキリストにあって神に対して抱いている信仰です。導きに関する4つの一般原則について学んでみます。
(1)「みことば」によるうながし
 聖書は、次のように自己表現をしています。
 ・聖書は、光です。(詩篇119:105、箴言6:23)
 ・聖書は、雨です。(イザヤ55:10,11)
 ・聖書は、食物です。(エレミヤ15:16、I ペテロ2:1,2、へブル5:12 〜 14)
 ・聖書は、火です。(エレミヤ20:9、23:29)
 ・聖書は、種です。(Ⅰペテロ1:23)
 ・聖書は、剣です。(エペソ6:17)

(2)「祈り」による平安
 祈りの中で示された思い、アイデア等は、大切に扱いましょう。新生したクリスチャンの思いは、神の御心を映す鏡です。

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」(ピリピ2:13,14)

(3)「状況」による確認
 神が摂理的に働いておられるかどうか、状況によって確認する必要があります。状況確認の古典的な例は、ルツ記2:3 にあります。

「ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった」(ルツ2:3)

 この例で、ナオミは、状況を通して、ボアズとルツが結婚へと導かれることを確信しています。

(4)「信仰の友」による助言
 神は他の兄弟姉妹たちを通しても語られます。一人よがりの確信を打ち砕き、より確かな基礎を築くためにも、他の人の意見に耳を傾けることです。
 異邦人社会へ最初の宣教師を遣わしたアンテオケ教会の例を見てみましょう。

「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した』 (使徒13:2,3)

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

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