クリスチャンは「貧乏に耐えひっそりと生きるべきで、富や名声を求めてはいけない」そんな雰囲気、ありますか? 聖書には裕福な人も貧しい人も登場しますが、この世における成功について、なんと書かれているのでしょうか。
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Q. 質問
Q :私の印象では、クリスチャンは金持ちになったり、有名になったりすることに抵抗感を持っているように感じます。誰でも人生で成功したいと思っているはずです。この点が引っかかるので、先に進めません。どう考えたらよいのか、教えてください。
A. 回答
A:確かに、クリスチャンの間にはお金のことは話題にしないという雰囲気があるかも知れません。この質問は、クリスチャン生活の本質に関わるものだと思います。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、金持ちになったり、有名になったりするのは、決して悪いことではありません。
聖書の世界観は、被造世界は良いもの、価値あるものだというところから始まっています。クリスチャンには、自分に与えられている富や才能を正しく管理する使命が与えられています。自分の使命に忠実な人は、結果的に、裕福になったり、有名になったりする確率が高くなります。創世記に出て来るヨセフが、良い手本です。彼は、自分に与えられた使命に忠実であったので、エジプトの総理大臣になることができました。そしてその地位を、神の計画が前進するために用いました。
2番目に、金持ちになったり、有名になったりすることを人生のゴールにするのは、間違っています。
そのような生き方は、この世の価値観に沿った生き方だからです。聖書は、貪欲に対する警告の言葉で満ちています。「富を得ようと苦労してはならない。自分の分別によって、これをやめよ」(箴23:4)。 「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります」 (1テモ6:9)。世の中には、自分の努力ではどうしようもない理由で、貧困を経験したり、苦難の中に置かれたりする人が多くいます。そうなった場合は、パウロの言葉を思い出しましょう。 「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」 (ピリピ 4:12)
3番目に、クリスチャンのゴールは、神の栄光を表わすことです。
これは、永遠に残るもののために働くことであり、天に宝を積む生き方です。私は、成功した人生を生きているかどうかを判定するキーワードは、「魂の平安」だと思います。心に平安がなければ、自己吟味をして、神に立ち帰る必要があります。人生の満足感は、どれだけ成功したかではなく、神の御心通りに生きているという確信にあるからです。
参考になる聖句
「だれも二人の主人に仕えることはできません。・・・あなたがたは神と富とに仕えることはできません」 (マタイ6:24)
成功した人は、それを神の計画のために用いるべきです。
もっと詳しく知りたい方は
▲富めるクリスチャンが、それを正しく用いている様子のわかる聖書箇所です。