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聖書には誤りは含まれていないのですか?

クリスチャンの友人が、「聖書は霊感を受けて書かれている」と言っていましたが、それはどういう意味ですか。聖書には誤りは含まれていないのですか。

最近は、「霊感」というと「霊感商法」が連想されますので、この言葉には否定的な印象が付きまといます。しかし、これは本来あってはならないことです。「霊感」を正しく理解することは、聖書に取り組む姿勢を正すことにつながります。

先ず、「啓示」という言葉から見てみましょう。神は人類に語っておられます。これを「啓示」といいます。啓示には、一般啓示と特別啓示があります。

(1) 一般啓示とは、自然を通した啓示や歴史を通した啓示です。さらに、人間の内面(良心)を通した啓示もあります。これらの一般啓示には、限界があります。一般啓示は、救いの道を示してはいません。また人間には、一般啓示によって示された真理を歪めてしまう性質があります。

(2) 特別啓示とは、神からの直接的な語りかけのことです。受肉(神が人となられたこと)は、特別啓示の中の特別啓示です。イエスを見た者は、父を見たのです(ヨハネの福音書14:1~9)。さらに、書かれたことば(聖書)による啓示があります。これによって、一般啓示を正しく理解することができます。今日の私たちにとって、これが最も重要な啓示です。

 

神のことばである聖書に誤りはありません。それを保証するのが、「霊感」という概念です。天理教や大本教では、教祖が神のお告げを書き記した文書を「御筆先」といいます。その場合、記者は神の啓示を書き記す道具になっているわけです。これは、聖書が教える「霊感」とは異なります。

霊感を示す聖句として最も重要なのは、次のものです。

「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(テモテへの手紙 第二3:16~17)

「神の霊感による」と訳されている言葉は、ギリシア語で「セオプニューストス」です。「神の息が吹き込まれている」という意味です。この言葉は、書かれた結果が間違いのないものであることを保証しているのであって、それ以上でも、それ以下でもありません。霊感に関しては、以下の点を理解しておきましょう。

(1)聖書には、二重著者という概念があります。神が第一次的な著者であり、人が第二次的な著者です。

(2)神は、著者の特徴、経験、文学形式などを用いて御心を啓示されました。それゆえ、聖書には多様性と統一性があります。それが「御筆先」と根本的に異なる点です。

(3)誤った霊感説がいくつかあります。「機械的(口述筆記的)霊感説」では、神は著者の執筆活動を完全に支配し導いた、とされます。「概念の霊感説」では、概念は霊感を受けているが、すべての言葉が霊感されているわけではない、とされます。この説は、神の霊感の度合いを引き下げる考え方です。「部分的霊感説」では、聖書の各部分には霊感を受けている度合いの差がある、とされます。もしそうなら、人間が最終的な判断を下すことになり、問題が起こります。以上の3つの説は、すべて間違っています。

 

最後に、「霊感」を受けて書かれたのは、原典だけであることを覚えましょう。つまり、「原典において、聖書は誤りなき神のことばである」ということです。では、私たちが読む翻訳された聖書には、権威はないのでしょういか。そんなことはありません。今、原典が保存されているわけではありませんが、何千という写本群の研究により、原典の内容が99%以上回復されています。そこから種々の言語への翻訳がなされています。翻訳文は霊感を受けているわけではありませんが、原典の内容を現代人に理解できるように別の言語に置き換えているので、そこには権威があります。翻訳上の過ちがあったとしても、それは実に微々たるものです。また学者たちは、原典の意味を正確に伝えるように、常に翻訳の改善に取り組んでいます。私たちとしては、安心して手元にある聖書を権威あるものとして読めばよいのです。

(答えた人:牧師 中川健一)