罪や問題のある行動から抜け出せない自分がいて、苦しいです。

自分自身に全く進歩がなく、同じ過ちを繰り返しては行き詰まり、ふさぎこんでしまう、そんな自分が許せない存在です。
神様は、イエス様の十字架によって私達を許し続けて下さっているのに、
自分自身は、ただ繰り返す罪の行動や言動に、空しさを感じ、
時にはそんな自分の姿に、腹が立ち、感情に流され、どうしても許せないのです。
どうしたら、今の現状から前進できるでしょうか?教えていただけませんか?

自分自身の「罪の性質」との葛藤はすべてのクリスチャンが日々体験する「産みの苦しみ」です。
それは、救いの計画が、まだ進行中だからです。

パウロはこのように表現しています。

そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます」(ローマ 8:23)

しかしながら、進むべき方向はしっかりと聖書に記されています。

クリスチャンとして変えられて行くことを「聖化」と呼びます。
IIコリント3:18には、聖化の仕組みが解りやすく表現されています。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです(IIコリント3:18)

この箇所によると「神の栄光を見る」ことによって「聖化」が進むことがわかります。

クリスチャンの成長は、正しい行いを積み上げることによってではなく、生きておられる神様を体験的に知っていくことにより、人格が変えられていく「プロセス」です。この働きは「主の霊」によって進められます。私たちの責任は「顔を主に向ける」ことです。

具体的には、聖書の言葉を理解することを通して、神様がどれだけ栄光に富んでおられるかを知る事ができます。そして、神様と顔と顔を合わせるように、真正面から向いあうときに「神様を知る」という「御霊の働き」を体験するのです。これがクリスチャンが前進する方法です!さらに言えば、私たちの最終ゴールも天の御国で「栄光の主」と顔と顔をあわせて会うことです。この喜びのゴールを目指して前進していきましょう!

もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、 神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている (黙示録22:3-4)

答えた人:牧師 中川洋(ハーベスト・タイムUSA)