2015

11.02

Q.86 聖餐式は、指導者がいないとできないのですか。

,

聖餐式はキリストの最後の晩餐の時から始まったもので、十字架を記念するために行います。多くの教会でだいたい月に1度、小さなパンとぶどう酒が配られ、信仰のある人だけが参加します。さて今回は、その聖餐式を、信徒のみで(小さなグループや家庭礼拝など)または一人でやっても良いか?というご質問です。さっそく見てみましょう。

テキストで読む

Q. 質問

聖餐式は、牧師や長老が司式しないとできないのですか。信徒だけではどうですか。また、ひとりで聖餐式をすることは許されますか。

A. 回答

聖餐式は、キリストの十字架を記念するために行うものです。

いつものように3つ申し上げます。

 

1.基本は、教会での礼拝の中で、霊的指導者の導きによって行うものです。

(1)使徒の働きを読むと、使徒たちや長老たちが聖餐式を導いたことが分かります。

 

2.聖書は、教会外の場所で聖餐式を行うことを禁じてはいません。

(1)初代教会の時代は、教会と言えば家の教会しかありませんでした。

(2)形式よりも、実質が大事です。

(3)キリストの十字架上での贖いの死を記念するのが聖餐式です。

(4)それを理解して、敬虔な思いで行うなら、聖餐式は祝福となります。

 

3.聖書は、ひとりでの聖餐式を想定していません。

(1)聖餐式は、「愛餐」です。

(2)互いに交わり、よきものを分かち合うために聖餐式が与えられています。

(3)ひとりで聖餐式をしたいと思う状況自体が問題です。

(4)神の家族の一員となれるように祈りましょう。

参考になる聖句

「ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」(1コリ11:28)

 

聖餐式は恵みの聖礼典です。

もっと詳しく知りたい方は

ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい(第1コリント 11:28)


▼最後の晩餐がどのようなものであったか、そこにどんな意味があるのか、詳しく解説されています。

マタイの福音書(26前半) (アウトラインPDF)

▼最後の晩餐の、パンの部分だけをさらに詳しく解説しているメッセージはこちら

メシアの生涯(175)―過越の食事(3)― (アウトラインPDF