聖書入門.com > ブログ > アート/カルチャーに見る聖書 > 「汝の敵を愛せよ」 − 三浦綾子の小説『氷点』

2015

09.22

「汝の敵を愛せよ」 − 三浦綾子の小説『氷点』

前回は『氷点』のテーマである「原罪」について書きました。
今回は『氷点』の内容紹介の中に出てくる「汝の敵を愛せよ」という聖句についてです。

「辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害された。『汝の敵を愛せよ』という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。―以下略―」

(「BOOK」データベースより)

『氷点』をご存知でない方も「汝の敵を愛せよ」(マタイ5章44節)という聖句は耳にしたことがあるかと思います。この聖句の前後をご存知でない方のために、ご紹介します。

43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。

この聖句はイエスキリストが語った、「山上の垂訓(マタイの福音書5〜7章)」と言われている長い教えのほんの一部です。

「山上の垂訓」全体がどのような教えなのかについて「3分でわかる聖書」罪とはなんですか?で少し語られているので抜粋します。

「新約聖書の福音書で、イエス・キリストが語られた「山上の垂訓」を読むと、これがまた辛くなります。「山上の垂訓」を読んで、「よかった!私、全部やってる!」という人はいないはずです。日本の文学者の中にも、熱心に、真剣に「山上の垂訓」を読んで、絶望して自殺した人もいるわけです。「十戒」や「山上の垂訓」を読んで喜ぶ人はいません。むしろ、自分自身の姿が見えてきてがっかりするわけです。その理由は、「罪」とは「神の律法に背くこと」であって、「まさに私がそのような人間だ」という風に感じるからですね。」

小説『氷点』のテーマは「原罪」ですから、著者三浦綾子が「山上の垂訓」の聖句を選んだのもわかりますね。この解説が言うように、原罪というものを読者に理解してもらうためにこの聖句を選んだのです。

この「山上の垂訓」は有名なのですが実はもっとも誤解されている箇所でもあります。正しく理解するために大切なのは文脈です。「『汝の敵を愛せよ』という命令を守らなければ神に受け入れられない」と間違った解釈をしてしまいがちですが、神の命令を完全には実行できない性質、つまり「原罪」があることを人に認めさせるのが、イエスの意図だったのです。このような聖句は、イエス・キリストがどの時代に誰に語ったのか、その目的は何なのか、私たちはどのようにこの箇所を自分に適用すべきなのかを理解してから解釈する必要があるのです。

「山上の垂訓」の他の箇所も知りたいという方は、3回にわたって語られたメッセージがあります。

マタイの福音書(5) 山上の垂訓(1)

マタイの福音書(6) 山上の垂訓(2)

マタイの福音書(7) 山上の垂訓(3)