2015
08.17
ゴスペル 「アメイジング・グレイス」の歌詞から聖書を学ぶ(3)
Amazing grace how sweet the sound
驚くばかりの恵み なんと甘い響きだろう
that saved a wretch like me!
私のように惨めな者を救って下さった!
I once was lost but now am found,
かつては迷っていたが、今は見つけられ、
was blind but now I see.
かつては盲目だったが、今は見える。
あなたは、「目から鱗が落ちる」ような体験をされたことがありますか?
何度も聞いたり見たりしていても、ピンとこなかった世界が、ある時突然わかるようになるという経験は誰にでもあるかと思います。また、人生経験をつむうちに次第と理解できるようになった世界観などもあるでしょう。
「賛美歌第2編167番」としても有名な「アメイジング・グレイス」の歌詞の1番には「かつては盲目だったが、今は見える。」という部分があります。この歌詞はそのような経験を象徴しているかのようですが、実は聖書には、具体的にこのことを書いている箇所があります。
そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」(ヨハネ9:39)
この聖書箇所の解説はこちらです。
あなたがたは今、「私たちは目が見える」と言っています。あなたがたの罪は残るのです。
また、イエス・キリストは実際に盲人を癒す奇跡を行いました。
メシアの生涯(112)―生まれつきの盲人の癒し(1)―(アウトラインPDF)
メシアの生涯(113)―生まれつきの盲人の癒し(2)―(アウトラインPDF)
霊的に「見えるようになった」という経験はクリスチャンになると何度も繰り返して経験することができます。それは、イエス・キリストに直接まみえるまで続きます。アメイジング・グレイスは、自分の救われた時の体験を思い出して歌うだけでなく、クリスチャンがそのあと何度も「霊的に目が開かれる」体験をするので、自分の霊的成長を主に賛美することができる歌なのです。