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今日の聖書の言葉

2020

08.24

Q.258 水子供養はどのように行えばよいですか。

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こちらはクリスチャンの方からのご質問です。事故と堕胎で2人の赤ちゃんを亡くしたとのことで、今でも気がかりなようです。あら?でも水子も供養も仏教用語では。クリスチャンとしては、この「供養しなくちゃ感」はどういう状態で、どう解決すれば良いでしょうか。

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Q. 質問

Q:私は、50代のクリスチャン女性ですが、二人の水子がいます。一人は胎内での事故で亡くなり、一人は堕胎してしまいました。クリスチャンでも水子を供養することは必要と考えていますが、どのように供養をすればよいかご教授をお願いいたします。

A. 回答

A:一般的に、水子とは死亡した胎児のことを言います。この方の場合は、一人は事故死、一人は堕胎による死ということですね。聖書的に水子供養をどう考えればよいのか、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、中絶は罪です。

中絶の背後に止むに止まれぬ事情があることは、よく理解できます。しかし、胎児というのは母の胎内に宿った瞬間から、人間です。妊娠初期にはまだ人間ではないとか、生まれるまでは人間ではないといった考え方は、聖書にはありません。堕胎とは、人間の命を奪うことです。中絶を行った女性の多くが、その後、自責の念に囚われたり、うつ状態に陥ったりするのは、そのためです。

2番目に、十字架によって赦されない罪はありません。

聖書には、水子供養という教えも概念もありません。日本でその習慣が広まったのは、1970年代に入ってからです。寺院が経済的な安定を求めて、水子供養を宣伝していったようです。これを「水子ビジネス」と呼ぶ人もいます。罪責感からの解放は、水子供養によってではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって与えられます。イエス・キリストの十字架の死によって、私たちが犯すすべての罪の代価は支払われました。罪の赦しを受け取る唯一の方法は、イエス・キリストを救い主として信じることです。まだクリスチャンでない方は、イエス・キリストを救い主として受け入れてください。すでにクリスチャンになっているなら、十字架によって罪の代価が支払われていることに感謝し、死んだ胎児の魂を神に委ねてください。胎児の魂は、神のもとに行っています。

3番目に、罪赦された人には、新しい使命が与えられています。

いつまでの罪責感を抱えながら生きることは、神の御心ではありません。イエス・キリストを信じる信仰によって罪責感から解放された人は、同じ苦しみの中にいる人たちを助けることができます。神の愛を一人でも多くの人に伝えるのが、霊的に新生したクリスチャンの使命です。水子供養は、不要であるばかりか、キリストの十字架の価値を認めない行為です。

参考になる聖句

「すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。そこに差別はありません」 (ローマ3:22)

水子供養は、十字架の価値を認めない行為です。