犯罪被害にあってから恨みとトラウマに苦しみつつ「人を赦せない自分は本当に救われるのか」と不安な質問者さんです。これほどまでのご苦労に対し、多くの方が共感できるわけではないかもしれませんが、正しくなく、健康でなく、聖くない。そんな私たちこそが、主に招かれています。
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Q. 質問
Q:10代で犯罪被害者となり、両親の無知も有り、加害者を告発も出来ずに泣き寝入りしました。加害者への恨みとトラウマに苦しみながら、自分だけの胸に閉まって歯を食いしばって生き抜いて来ました。老年となった今、「苦しみから解放されて無になれる死」こそが私の救いです。 私はイエス様から永遠の命を与えられて救われるのでしょうか。
A. 回答
A:大変なご苦労をなさいました。「苦しみから解放されて無になれる死こそが私の救いです」と書かれていました。しかし、死とは無になることでありません。聖書には死以外の解決法が書かれていますので、それを見てみましょう。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、「わたしはイエス様から永遠の命を与えられて救われるのでしょうか」との質問がありましたが、答はもちろん「イエス」です。
イエス様は、重荷を負って労苦している人を招いておられます。「わたしのもとに来なさい」と呼びかけておられます。「正しい人、健康な人、聖い人は、わたしのもとに来なさい」ではないのです。質問者の方には希望があります。なぜなら、イエス様が招いておられるからです。私の所に質問を送ってくださったこと自体が、招きへの応答だと考えることができます。
2番目に、救われるためには、イエス・キリストに信頼を置く必要があります。
イエス・キリストは、私たちの罪のために死に、墓に葬られ、三日目に復活されました。イエス・キリストを救い主と信じた人には、いくつかの祝福が与えられます。①過去、現在、未来の罪がすべて赦されます。②神の子とされます。③永遠のいのちが与えられます。④新しい生活を営むための力が与えられます。その力とは、聖霊の力のことです。
3番目に、聖霊に導かれて歩む人は、御霊の実を付けるようになります。
私は今、ガラテヤ人への手紙の講解メッセージを行っています。ちょうど5章に差しかかりました。そこでは、肉の業と御霊の実が対比されています。肉の業とは、古い性質に従って生きることです。つまり、人が自力で行う業です。それに対して、御霊の実は、聖霊が信者の内側で働いてくださった結果付ける実です。イエス・キリストを信じ、日々聖霊に導かれて歩むなら、聖霊の実を付けることができます。 ガラテヤ5:22〜23にはこうあります。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」
自力で、自分を傷つけた人を赦そうとしても、なかなかできることでありません。しかし、イエス・キリストにつながるなら、聖霊の力によってそれが可能になります。よい決断をなさいますようにお祈りします。
参考になる聖句
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」 (ガラテヤ5:22〜23)
聖霊によって、自分を傷つけた人を赦すことが可能になります。