2019
09.10
Q.219 自分はなぜイケメンに生まれなかったのか。
質問者さんは外見の美醜について「先天的格差」と表現されています。でもこのお悩みは突き詰めれば普遍的なもので、神学的に「悪の問題」という名前が付いているそうです。さっそく解説をご覧ください。
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Q. 質問
Q :私はクリスチャンですが、顔がブサイクで悩んでいます。顔の骨格は遺伝的な要素なので、鏡を見ると、一生自分がイケメンになれる日が来ないのかと思って病んでしまいます。また、芸能人がイケメンや美人でチヤホヤされていると、また病んでしまいます。なぜ神様は遺伝のような先天的格差をお創りになられたのかが分かりません。
A. 回答
A:この質問を突き詰めていくと、「なぜ肉体的、精神的にハンディを負った人が生まれるのか」、あるいは、「なぜ事故によってハンディを負う人が出るのか」という質問に行き着きます。これは、神学的には「悪の問題」と呼ばれるものです。いつものように3つ申し上げます。
1番目に、程度の差こそあれ、すべての人がハンディを負って生きています。
つまり、完璧な状態で生きている人などいないということです。眼鏡をかけている人、歯の治療を受けた人、補聴器を使用している人、杖をついて歩いている人、これらの人たちは、すべて完璧以下の状態で生活しています。自分の容姿に不満を持っている人は多くいると思いますが、それ以上に深刻なハンディを負って生きている人もたくさんいます。不思議なのは、ハンディの度合いが必ずしもその人の幸福度と比例していないことです。
一般論として、人類が負っているハンディは、アダムの罪によってこの世に入り込んで来たものです。この世は因果律によって支配されています。神への反抗が原因で、被造世界の呪いが結果です。このことは、個々のハンディが何かの罪と結びついているということではありません。
2番目に、神は私たちのハンディさえも、御自身の目的のために用いることができます。
ヨハネ9章には、生まれつきの盲人が登場します。イエスは、彼の目を開くことによって御自身の栄光を表わされました。さらに、ヨハネ11章には、死んで4日も経ったラザロが出て来ます。イエスは、ラザロを生き返らせることによって御自身の栄光を表わされました。
私たちが持つ弱さは、私たちを神に近づける力となります。弱さの中に神の恵みが働くというのは、本当です。もし弱さを感じないという人がいるなら、私はその人と付き合いたいとは思いません。
3番目に、ハンディを抱えて生きるという状況は、一時的なものです。
キリストを信じる人は、キリストと同じように死からの復活を経験するようになります。その時に与えられるのが、罪の呪いを受けていない体、不死の体、栄光の体です。このことは、千年王国において成就します。今私たちに必要なのは、少しばかりの忍耐です。復活の希望を持つ人は幸いです。
自分の容姿に不満を持つ方は、それ以上に大切な内面の美に目を留めようではありませんか。内面が輝いている人の顔は、とても魅力的に見えるはずです。
参考になる聖句
「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた」 (使徒 6:15)
内面が輝いている人の顔は、とても魅力的に見えるはずです。
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