エデンの園に置かれたアダムとエバは、どんな木からでも取って食べることができました。ただ一つ禁止されたのは、善悪の知識の木から取って食べること。そのため「初めからそんなものなければ、アダムとエバが罪を犯すこともなかっただろうに」と考える方も多いです。さてこの善悪の木、何のためにあったのでしょうか?
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Q. 質問
Q:神様は、どうしてエデンの園に善悪の知識の木を置いたのですか。A. 回答
A:この質問をされた方は、善悪の知識の木がなければ、アダムが罪を犯すことはなかったのにと思われたのでしょうか。いつものように、3つ申し上げます。
1番目に、善悪の知識の木が置かれたのは、アダムとエバに選択の自由を与えるためです。
エデンの園では、どんな木からでも取って食べることができました。ただ一つ禁止されたのは、善悪の知識の木から取って食べることです。アダムとエバには、神に従う自由も、神に従わない自由も与えられました。もし選択の自由がなければ、彼らはロボットと同じです。自由意志が与えられているということが、人間であることの条件です。神はサタンの誘惑を許されましたが、それもまた、アダムとエバに選択することを促すためです。
2番目に、アダムとエバは、神が意図された方法ではない方法で、善悪の違いを知るようになりました。
神の意図は、彼らが神の命令を守ることによって、善悪の違いを知るようになることでした。つまり、善悪の知識の木から食べないことによって、善悪の知識を得るということです。しかし彼らは、その木の実を食べ、自分が罪の一部となることによって善悪の違いを知るようになりました。神に反抗してその実を食べた瞬間、彼らは罪責感に襲われました。良心に重くのしかかってくる罪責感は、それまで経験したことのないものでした。また彼らは、自分たちの裸を直視できなくなりました。恥の感覚が生まれたからです。アダムとエバの堕落は、この世界に死をもたらしました。
3番目に、神は、全人類のために救いの道を用意されました。
アダムの堕落以降、すべての人は原罪(罪への傾向性)を宿して誕生するようになりました。しかし神は、人類を見捨てることなく、救いの道を用意されました。イエス・キリストは「最後のアダム」と呼ばれます。最初のアダムは、神に反抗して堕落し、この世に死をもたらしました。最後のアダムは、十字架の死に至るまで神に従い、この世にいのちをもたらしました。アダムの子孫である私たちは、最後のアダムであるイエス・キリストを信じることによって、罪の赦しと永遠のいのちを受けることができます。
参考になる聖句
「すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」(1コリ15:22)
神は、人間の自由な選択を促すために、善悪の知識の木を置かれました。
もっと詳しく知りたい方は
すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです(第1コリント15:22)
▲ローマ人への手紙は少し難しいのですが、創世記に登場するアダムの過ちと、二千年以上前のキリストの十字架が、なぜ現代の私たちに関係あるのかがわかる箇所です。(最初のアダム・最後のアダム)