ハロウィンとは、毎年10月31日に行われるお祭りです。カボチャやお化けの飾りに十字架がついていたりして、キリスト教と関係あるお祭りだと勘違いされるケースもあるようです。今回のご質問は「ハロウィンは危険だから祝うべきではないという人と、何も問題はないという人がいます。 どう考えればいいですか?」というもの。いったい何が「危険」なのでしょうか?さっそく解説を見てみましょう。
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#45. ハロウィーンは祝っても問題ないのでしょうか。
Q. 質問
ハロウィーンは悪魔的なものを取り扱っており、危険だから祝うべきではないという人と、何も問題はないという人がいます。 どう考えればいいですか。
A. 回答
ハロウィーンとは、毎年10月31日に行われる祭りのことです。日本でも、コマーシャリズムに乗って急速に広がってきました。「聖書に書いてある祭りだ」と誤解されている方さえおられるほどです。アメリカでは、両親は自分の子どもにこの祭りに参加させるかどうかで、大いに悩みます。特に、クリスチャンの場合はそうです。
さあ、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、ハロウィーンの起源は異教的なものです。
約2000年前の古代ケルト人の祭りが起源だと考えられています。元々は、秋の収穫祭でした。特に、この収穫祭の時期には、「自然界と超自然界の垣根が取り払われる」と考えられていました。つまり、生きている人が死者と交流できる期間、そして、死者との交流を通して未来を覗き見ることができる期間、と考えられていたのです。
また、悪霊の追い出しや、魔女の存在といったような異教的な意味合いのものが、この時期に人々の関心の的となりました。ですから、ハロウィーンが危険だという人がいるのは当然なのです。
2番目に、ハロウィーンは、現代(特にアメリカ)では民間行事として定着しています。
現代のハロウィーンは、元々の由来とは無関係に、「子どもたちが楽しむ祭り」となっています。祭りの期間、子どもたちはさまざまな姿に変装し、家々を訪ね歩いてキャンディをもらいます。私も、高校時代にアメリカに滞在していたときに、大変楽しい体験をした覚えがあります。
ハロウィーンを祝う方々は、「ハロウィーン自体に宗教的な意味合いはない」と考えています。そういう意味で、ハロウィーンに違和感を覚えない人たちがいるのも、当然なのです。
つまり、ハロウィーンに関しては、危険視する人と、平気な人と、両方いるということです。ですから、この質問は、私がどちらに答えても、必ず批判されるものなのです。
3番目に、個人的には「第3の道」を選びたいと思います。
ローマ人への手紙14章で、パウロは「中心的なテーマでなければどちらでも良いのだ」というような話をしています。これを私は、「グレーゾーン」と呼んでいます。グレーゾーンに属する問題は、各人が判断すべきことです。ですから、「それが罪だ」と考える人は、この祭りに参加すべきではありません。「問題はない」と思う人は、自分の良心と信仰に照らして参加してもいいわけです。そして、互いに相手の選択をあれこれと批判すべきではありません。
もし、クリスチャンが問題はないと思ってこの祭りに参加する場合は、最低限、異教的な要素を排除する努力はすべきだと思います。例えば、ジャック・オー・ランタンというものがあります。カボチャをくり抜いて作ったランタンですね。あれは、「悪霊どもがやってくるときに、道を間違えないように光を与える」という考え方もありますから、要注意です。さらに、魔女や化け物などの衣装を子どもに付けさせることも、控えたほうが良いと思います。
同時に、キリストの愛と光を伝えるチャンスとしてこれを用いることもできると思います。ハロウィーンを「収穫祭」として祝うことは可能でしょう。つまり、福音を伝える機会としてこの祭りをポジティブに用いるということです。
参考になる聖句
「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです」(ローマ人への手紙14:1〜2)
もっと詳しく知りたい方は
地蔵が置かれている場所がありますが、そこには悪霊がいるのでしょうか。
ローマ人への手紙(52)―教会内の調和を求めて(2)― (ロマ14:5〜12)(アウトラインPDF)
▲キリストの救いを信じてからも、ユダヤ人としての伝統と習慣を守ろうとした信者、そして外国出身の文化の違う信者が、お互いを認め合って調和するためにはどう考えたら良いか。パウロが書き送った言葉です。
※信者とはクリスチャンのことです。