アブラハムなど旧約時代の父祖たちは、お墓を大切にしたように思うけれど、最近のクリスチャンは埋葬を重視していないのでは?というご質問です。クリスチャンがお墓を持たない、散骨するなどの行為は、聖書的にどうなのか見ていきます。
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Q. 質問
Q:近年、死生観の変化なのか、クリスチャンの間でも、お墓を持たない、散骨する、骨を拾わない、という時代になってきました。アブラハムなど旧約時代の父祖たちは、お墓を大切にしたように思います。この問題をどのように受け止めたら良いでしょうか。
A. 回答
A:お墓の問題に関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、創世記に登場する族長たちは、お墓を重視しました。
彼らは、カナンの地に葬られることを願いました。具体的には、アブラハムが購入したマクペラの墓地に葬られることを願ったのです。その理由は、カナンの地がアブラハムとその子孫約束された地だったからです。族長たちがお墓を重視した理由は、神から土地の約束が与えられていたからです。しかし、このことは私たちに適用されるものではありません。
2番目に、聖書には、遺体をどのように葬るべきかについての命令はありません。
埋葬が聖書的方法だと主張する方がいますが、それは聖書時代の習慣を基にした議論です。聖書時代には、金持ちは地上に作られた墓に葬られ、貧しい人は地中に掘られた穴に葬られました。埋葬を主張する人の多くが、火葬は非聖書的だと考えています。しかし、聖書は埋葬も火葬も命じていませんし、また禁止もしていません。葬りの形は、その国の法律に違反しない限り、自由に選択してよいのです。
3番目に、葬りの形以上に大切なのは、死生観です。
質問者の方が指摘しておられるように、最近は多様な葬りの形が現れています。どの形は選ぶかは、当事者たちの自由です。それ以上に重要なのは、死生観です。死とは、魂と肉体の分離です。肉体を離れた魂は、神のもとに帰ります。イエス・キリストを通して神との平和を得ている人は、幸いです。クリスチャンには、栄光の体に復活するという希望があります。
参考になる聖句
「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです」 (第一コリント15:51〜52)
葬りの形よりも、死生観の方が大事です。