この質問をお送り下さった方は、タバコの販売で生計を立てていらっしゃる事について、心を痛めておられるのでしょうか。質問者さんが書かれている通り、タバコを吸っても良いとか悪いとか、はたまたそれを売ってもOKかどうか、聖書には書かれていません。この動画では、聖書が示す大方針にもとづいて、細かな行為の善し悪しを自分で判断する方法が語られます。
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#59. タバコの喫煙や、それで生計を立てることは罪ですか。
Q. 質問
聖書には書いていませんが、タバコの喫煙は罪ですか。私は一切吸いませんが、それで生計を立てています。
A. 回答
聖書は、「してもいいこと」と「してはならないこと」をリストアップしている書ではありません。聖書は、生きる姿勢について教えているのです。ですから、個々の行為に関しては、聖書に記されている「原則」を適用して、自分で判断するしかありません。
そこで今日は、「これが良い、悪い」といった結論よりは、結論を出すために参考になる「判断のガイドライン」を、3つご紹介したいと思います。
1番目に、神以外のものに心を奪われているなら、それは偶像礼拝です。
有名な「十戒」を読みますと、似たような禁止令が2つ出てきます。
- 「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」
- 「偶像を作ってはならない」
②の「偶像を作ってはならない」というのが「偶像礼拝」を指していることは、すぐに分かります。では、①の禁止令はどうでしょうか。それは、「目に見えないものであっても、それに心を奪われるなら、それがあなたにとって神になる」という教えです。ですから、いわゆる嗜好品や趣味といったものも、聖書的には「偶像礼拝」になり得るわけです。
2番目に、すべてのことは許されていますが、すべてが益になるわけではありません。
これは、どちらとも判断できないような「グレーゾーン」の問題について言えることです。その場合は、自分で判断したらよいのです。しかし、その際に考えるべきは、「すべてのことが必ずしも益になるわけではない」ということです。ですからこれは、「良いことを選びなさい」という教えなのですね。
3番目に、私たちの体は聖霊の宮です。
信者の内側には聖霊が宿っておられます。自分の内側に聖霊が宿っているという「自己認識」があれば、健康に害を与える行為や習慣が良いことなのかどうか、容易に判断できるようになります。
それを知りながら、健康に害を与えるような習慣に囚われているなら、その人は常に信者としての自己認識の領域で挑戦を受け、不安定な状態に置かれることになります。つまり、その人のセルフイメージが下がっていくということです。
喫煙の問題、あるいは生計をどう立てるかという問題は、以上の原則をもとに、各人が神の前で判断すべきことです。よい判断をなさいますように。
参考になる聖句
「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」(コリント人への手紙第一6:12)
喫煙の習慣は、自己認識を正すことによって乗り越えるべきものです。
もっと詳しく知りたい方は
すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません(第1コリント6:12)
ローマ人への手紙(53)―キリスト者の自由― (アウトラインPDF)
▲キリストの死と復活からわずか20数年、ローマの教会では教理的な面は理解していても、実生活の面で分からないことも多く混乱のあった時代にパウロが書き残した「絶対に曖昧にしては行けない教理」と、そして各人が判断すべきグレーゾーンについてのメッセージです。
時間が許せばぜひ、ローマ人への手紙(51)―教会内の調和を求めて(1)とローマ人への手紙(52)―教会内の調和を求めて(2)― から聞いてみてください。