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今日の聖書の言葉

2015

03.16

Q.60 クリスマスはイエス・キリストの本当の誕生日ではないと、 どうして教えないのですか。

「どうして教えないのですか」というご質問文からは、「クリスマスはキリストの生まれた日」という世間の認識に、抵抗を感じているようにも読み取れます。
おっしゃる通り、イエス・キリストの実際の誕生日は分かっていないのです。今回も3分で「本当の誕生日じゃないのに」という心のモヤモヤを解決しましょう!

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#60. クリスマスは、イエス・キリストの誕生日ではないと、教えないのですか。

Q. 質問

クリスマスは、イエス・キリストの本当の誕生日ではないと、どうして教えないのですか。

A. 回答

お答えする前に、まず誤解を解いておきましょう。

キリスト教では、クリスマスをイエス・キリストの「誕生日」と考えているわけではありません。クリスマスは「キリスト降誕を記念する祭日」ですね。このことを、よく覚えておいてください。

これを前提に、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、クリスマスの起源は、異教的な祭りにあります。

クリスマスは、紀元4世紀にローマ世界で始まった習慣ですが、多くの学者が、「これはミトラ教の冬至の祭りを利用したものだ」と言っています。

これが、通説ですね。おそらく、そうでしょう。ですから、クリスマスの起源は、異教的な祭りにあるということです。

2番目に、イエス・キリストの実際の誕生日は分かりません。

聖書に、実際の誕生日が記されているわけではありません。ですから、12月25日だと断言することはできないのです。

それと同時に、12月25日ではないと断言することもできません。その可能性は残るのです。

ほとんどの方が、12月25日ではないという根拠として、「この季節に羊飼いが野で羊の番をすることはない」と言われますが、そういう方は、おそらく聖地旅行に行ったことがない方ではないかなと思います。12月に、ベツレヘム郊外の「羊飼いの野」で、羊飼いが野宿をすることは、十分あり得ることです。

つまり、12月25日だと断言することはできないが、同時に、12月25日ではないと断言することもできないのです。要するに、分からないのです。

3番目に、クリスマスを祝うかどうかは、各人が判断すればよいのです。

祝わない人は、はっきりと断定できないのだから祝わない方がよいと考えているわけです。それは、あえて言うならば、「良心の問題」として祝わないということです。

祝う人は、異教的な習慣が起源になっているとしても、その異教的な習慣が贖われて「神の栄光」のために用いられているのだ、というように考えます。特に、冬至というのは、日照時間が一番短い季節から、光の季節に移行するターニング・ポイントです。冬至は、実に素晴らしい象徴的な意味を持っています。クリスマスを祝う人は、異教的な習慣がメシア(キリスト)降誕を象徴的に示すものになっていると考え、それを祝うわけです。

クリスマスを祝うかどうかは、いわゆる「グレーゾーン」の問題です。一人ひとりが、神様の前で選択し、実行すればよいのです。

最後に、私自身は「祝った方がよい」と思っています。その理由は、教会外の人たちがクリスマスを1つのイベントとして捉えているわけですから、この時期に、神の愛を伝える宣教活動を活発化させるということは、神様に喜んでいただけることだと思います。

参考になる聖句

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません」(コリント人への手紙第一6:12)

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