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今日の聖書の言葉

第7課「兵士として」(後半)

「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6:12)

 クリスチャン生活に限らず、生きていくことは、それ自体が戦いの連続です。赤子は、誕生したとたんに、新しい戦いの中に入ります。人間の肉体は、外部から侵入して来る細菌と絶えず戦っています。そのように、生きることは、そのまま戦いであるのです。(セッション後半)


第7課の絵の概念

第7課「兵士として」

1. 戦場:クリスチャンの生活は、霊の戦いとしての側面を持っています。

2. 上から差し込む光:この戦いは、主の戦いです

3. 3つの火矢:クリスチャンを攻撃する敵が、3つあります。

(1)黒い影:悪魔(サタン)
(2)王座:肉の願い
(3)衣・食・住:世の欲

4. 3人の兵士:霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。

(1)傷ついた兵士:生まれながらの人
(2)絶望している兵士:肉に属する人(キリストにある幼子)
(3)戦う兵士:御霊に属する人

5. 戦う兵士の武具:神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。

(1)帯:真理の帯
(2)胸当て:正義の胸当て
(3)サンダル:平和の福音の備え
(4)大盾:信仰の大盾
(5)かぶと:救いのかぶと
(6)剣(つるぎ):御霊の与える剣(神のことば)

スピーカー:中川健一

聖書箇所:エペソ6:12

収録日:20080825

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イントロダクション

 クリスチャン生活に限らず、生きていくことは、それ自体が戦いの連続です。赤子は、誕生したとたんに、新しい戦いの中に入ります。人間の肉体は、外部から侵入して来る細菌と絶えず戦っています。植物は、水を注ぎ、手入れをしてやらなければ、枯れてしまいます。結婚生活は、偶然に出来上がるものではなく、2人の力で育てていかなければなりません。そのように、生きることは、そのまま戦いであるのです。


4. 霊の戦いを戦う兵士には、3種類の人々がいます。

 この霊の戦いを、人々はどのように戦うのでしょうか。
  ・生まれながらの人
  ・肉に属する人
  ・御霊に属する人
 以上の3区分に従って考えてみましょう。

(1)生まれながらの人
 この人々にとっては、目に見えるものだけが現実で、霊の世界、みことばの現実などは、愚かなことに思えるのです。従って、霊の戦いには、完全に敗北します。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです」(Ⅰコリント2:14)

(2)肉に属する人(キリストにある幼子)
 パウロは、コリントのクリスチャンのことをこう呼びました(Ⅰコリント3:1〜4)。
・堅い食物は与えられない。
・ねたみや争いがある。
 この人々は、霊の戦いの現実を知ってはいても、それに勝つことのできない人々です。

(3)御霊に属する人
「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません」(Ⅰコリント2:15)
 ここで、第5課で学んだ霊の呼吸(主の祈り)についてもう一度考えましょう。

 

5. 神が与えてくださる霊の武具を身につけなければなりません。

 御霊の人は、神の武具を身につけ、この戦いに勝利することができます。

「では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」(エペソ6:14〜17)

(1)真理の帯
人は真理に従うなら自由を発見し、真理に逆らうなら、何一つすることができません。

「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。『もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします』」(ヨハネ8:31,32)

「私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです」(Ⅱコリント13:8)

(2)正義の胸当て
 胸当ては、心臓を守るものです。
 パウロは、神の義を発見したときに起こる価値観の変化について次のように語っています。

「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」(ピリピ3:8,9)

(3)平和の福音の備え
 神の御心を行うのに必要な心構えを保つことが大切です。
 兵士は、すぐに動き回れるように足にサンダルを履いていました。

(4)信仰の大盾
 この信仰は、みことばへの信仰でなければなりません。見ていないことを確信するのが信仰です。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(へブル11:1)

(5)救いのかぶと
 これは、救いの確信のことです。確信がなければ、敵の術中にはまります。

「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」(Ⅰテサロニケ5:8)

(6)御霊の与える剣(神のことば)
 イエスの荒野の試みは、すべて、みことばによる勝利でした。
 クリスチャンの戦いは、敵に背を向けたときに敗れます。神の与える武具は、すべて体の前面を守るものです。敵に背を向けることなく、前進して行きましょう。

祈ってみよう!

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