聖書入門.com > 3分でわかる聖書 > イエスが私たちの罪のために死んだとはどういう意味ですか。

2019

10.16

Q.222 イエスが私たちの罪のために死んだとはどういう意味ですか。

, ,

自分の失敗を他人にカバーしてもらおうとするのは、無責任ではないか?というご質問です。そう思われる方、本当に多い気がします。日本は特に、努力・我慢・頑張りを美徳とする文化があるせいでしょうか。さて、自分で自分の罪をなんとかすることは可能なんでしょうか、さっそくご覧ください。

テキストで読む

Q. 質問

Q: イエスが私たちの罪のために死んだとはどういう意味ですか。自分の失敗を他人にカバーしてもらおうとするのは、無責任ではないですか。

A. 回答

A:この世界に物理的法則があるように、神と人間の間にも、霊的法則というものがあります。物理的法則を無視する人は、自らの上に滅びを招きます。それと同じように、霊的法則を無視する人も、自らの上に滅びを招くことになります。罪の赦しについて、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、一人の人によって罪と死が世界に入って来ました。

このことを教えているのが、ローマ人への手紙5章12節です。 「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった・・・」 ここでの一人の人とは、アダムのことです。アダムはエデンの園という理想的な環境に置かれながら、悪魔の誘惑に負けて、神に反抗しました。その結果、彼は罪と死をこの世界にもたらしたのです。アダムの子孫である私たちは、生まれた時から罪の性質を内に宿しています。そのため、肉体的にも霊的にも死ぬ運命にあります。死の問題は、自力で解決できるものではありません。

2番目に、血を流すことなしには、罪の赦しはありません。

このことを教えているのが、ヘブル人への手紙9章22節です。「・・・血を流すことがなければ、罪の赦しはありません」。 旧約時代においてイスラエルの民は、いけにえの動物の血を流すことによって、罪の赦しの確信を得ていました。しかし、動物の血は罪に一時的な覆いを被せただけで、最終的な解決ではありませんでした。いけにえの動物の血は、究極的な罪の代価であるイエスの血を指し示す型でした。

3番目に、イエスだけが救いに至る道です。

このことを教えているのが、ヨハネの福音書14章6節です。

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません』」

イエスの誕生、公生涯、十字架上での死、埋葬、復活、昇天などの出来事はすべて、私たち罪人に救いの道を提供するためのものでした。聖書によれば、イエス・キリストだけが唯一の救いの道です。イエスを救い主と信じる人は、イエスの血潮によって罪赦され、父なる神と和解した人です。イエスを信じるとは、神からの最高の贈り物を受け取ることです。

もっと詳しく知りたい方は

Q.91 救いの条件は、「福音の三要素」だけでしょうか。

Q.82 生け贄はなぜ必要なのですか。

▲仏教で言うところの「自力本願」「他力本願」とキリスト教の救いについて、元仏教徒のクリスチャンが書いた記事です。