2018

09.19

天国と地獄の間にあって、罪を浄化してくれるという場所「煉獄」。カトリック教会で教えられる内容なのだそうです。コリント人への手紙第一に「火の中をくぐるようにして助かります」という箇所があるのですが、実際どうなのでしょう。さっそく解説をご覧ください。

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Q. 質問

Q:カトリック教会では煉獄の存在を認めていますが、どう思われますか。聖書にも煉獄の存在を思わせる箇所がありますが、救いの三要素を信じ、信仰と恵みにより救われれば天国に行けるのではないでしょうか。

A. 回答

A:カトリック教会の教義によれば、煉獄とは、天国と地獄の間にあり、死者の魂が天国に入る前に火によって罪を浄化される場所です。煉獄について、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、煉獄の教えは、聖書的ではありません。

イエス・キリストを信じた者が、死んでからなおも煉獄で罪を浄化される必要があるというのは、聖書の教えに反するものです。煉獄の存在を教えることは、イエス・キリストの死は不十分であったと主張するのと同じことです。主イエスは、私たちのすべての罪を贖うために死なれました。ローマ人への手紙5章8節にこうあります。 「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」

2番目に、コリント人への手紙第一3章15節は、煉獄の存在を教えているわけではありません。

煉獄の存在を証明していると言われるのが、この聖句です。 「もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります」 。しかし、この聖句が教えているのは、煉獄の存在ではなく、信者の裁きです。信者は、死後、自分が行った業に関して神の評価を受けます。パウロは、建物が火で焼かれるという比喩を用いて、信者の業が神から試されるということを教えています。その業が価値あるものなら残りますが、無価値なものなら燃えてしまいます。火で試されているのは、信者の業であって、信者自身ではありません。

3 番目に、煉獄の教えに関連した教えはすべて、聖書的ではありません。

次に挙げる教えは全て、イエス・キリストの十字架の価値を減じる教えです。

①死者のための祈り。②死者のためのバプテスマ。③贖宥状(免罪符)。贖宥状の販売を疑問視したことがきっかけになって起こったのが、宗教改革です。

イエス・キリストは、私たちの過去、現在、未来の罪のために死んでくださいました。

参考になる聖句

「この方こそ、私たちの罪のための──私たちの罪だけでなく、世全体のための──なだめの供え物です」 (第一ヨハネ2:2)

 煉獄の教理は、聖書的ではありません。