十字架刑とはどんなものであったか、そしてイエス・キリストが十字架にかかる事に、重大な意味があることを学びます。
スピーカー:中川健一
聖書箇所:イエスキリストが十字架にかかられる場面全般
収録日:20120904
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十字架は、キリスト教のシンボルです。イエス・キリストは十字架上で7つの祈りをされました。
この7つの祈りについてのメッセージを合計8回のメッセージで解説していきます。
この回のアウトライン
(1)十字架とはどのようなものか。
十字架の種類
モーセの律法の規定
十字架刑の歴史
十字架刑の手順
考古学上の発見
(2)イエスはなぜ十字架で死んだのか。
福音書の記者達は、十字架刑の内容について詳細には語っていない。(当時の読者達には周知の事実)
イエスの罪状
- イエスの死は、人類の罪を購うためのものである。
- イエスの死は、モーセの律法を終わらせた。
- イエスの死は、キリストの教会を産み出した。
- イエスの死は、信者の内に起こる事を示している。
- イエスの死は、復活によってその信頼性が証明された。
結論
●十字架のことばの愚かさ
●私たちの応答
1.はじめに
(1)十字架は、キリスト教のシンボルである。
①最初は、魚がシンボルであった。
*ギリシヤ語で「ΙΧΘΥΣ」(イクトス)
*イエス・キリスト、神の子、救い主。
②紀元2世紀以降、十字架がシンボルとなる。
*十字架は、神の愛のシンボルである。
(2)イエス・キリストは、十字架上で7つの祈りをされた。
①1990年に「十字架のことば」のメッセージシリーズを語った。
②それから22年後、再度、この試みに挑戦する。
③今回を含めて、合計8回のメッセージとなる。
2.アウトライン
(1)十字架とはどのようなものか。
(2)イエスはなぜ十字架で死んだのか。
3.結論
(1)十字架のことばの愚かさ
(2)私たちの応答
このメッセージは、十字架の意味について考えるものである。
Ⅰ.十字架とはどのようなものか
1.十字架の種類
(1)ギリシヤ語で、スタウロス。2つの意味がある。
①一本の木
②縦木と横木を組み合わせたもの。
③新約聖書では、②の意味でこの言葉が使用される。
(2)4つの型
①一本の木
②T字型
③X字型
④十字型(ラテン型。ギリシヤ型の場合は、縦横同じ長さ)
2.モーセの律法の規定
(1)旧約聖書には出てこない。
①生きたまま木に付けることはなかった。
②警告のために、死体を木にさらすことは、あった。
(2)申命記21:22~23
「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、【主】が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない」
①木につるされた者は、神にのろわれた者である。
②死体は、日没までに、必ず埋葬しなければならない。
③地を汚さないためである。
3.十字架刑の歴史
(1)アッシリヤとペルシヤで始まった刑である。
①それが、ギリシヤ人に受け継がれた。
*アレクサンドロス大王が採用した。
(2)ローマ人が、十字架刑を完成させた(マニュアル化した)。
①非常に残酷な刑である。
②苦痛を長引かせて死に至らせる刑である。
③見せしめの刑である。
④非ローマ人、奴隷などに適用される刑である。
⑤ローマ市民は除外された。
*ペテロは十字架刑で死んだ。
*パウロは首を切られて死んだ。
4.十字架刑の手順
(1)有罪宣言を受ける。
①それ以降の手順は、死刑執行人の判断で変わる場合もある。
(2)横木を負って刑場に向かう。
①罪状書きを持った人が、罪人の前を歩く。
②場合によっては、罪人の首に罪状書きをぶら下げる。
(3)刑場に着くと、衣服を脱がせ、鞭で打つ。
①イエスの場合は、有罪宣言の前に鞭で打たれた。
②横木を負って行く体力が残っていなかった。
③クレネ人シモンが代わりに横木を負わされた。
(4)横木に寝かされ、両手を釘付けにされた。
①手のひらではなく、手首に釘が打たれた。
(5)横木が上に引き上げられ、縦木と組み合わせられた。
①縦木は、すでに刑場に立てられていた。
②縦木のほぼ中央に、臀部を載せるための短い横木が付けられていた。
③頭の上に、罪状書きが打ち付けられた。
*一本の木は、当時、パレスチナでは使用されていなかった。
*イエスの十字架は、T字型、X字型ではなかった。
(6)鎮痛剤が与えられた。
①通常は、酸いぶどう酒が用いられた。
②イエスの場合は、これを拒否した。
③父なる神の御心を、鮮明な意識のままで実行するため。
*信仰告白をした罪人への祝福のことばを、発することができた。
*十字架上の7つの祈りは、このようにして捧げられたものである。
(7)死に至る。
①渇き、空腹、激痛、出血多量、そして、窒息などにより、死に至る。
②死期を早めたい場合は、すねの骨を折る。
*罪人は、数日から1週間以上、生き延びた。
③イエスの場合は、午前9時から午後3時まで苦しまれた。
5.考古学上の発見
(1)1968年の夏に、エルサレム近郊で、4つのユダヤ人の墓が発掘された。
①ある石棺には、十字架刑で死んだ青年の骨が納められていた。
*この種のものとしては、唯一残存する骨である。
②発掘された土器の形状から、年代は、紀元7~66年と推定された。
(2)この骨が伝えていること
①両腕に釘が打ち込まれた。
②体重は、恐らく、臀部の下に置かれた横木で支えられたのであろう。
③足は、膝を折り、横に曲げて臀部の下に置かれた。
*私たちが見慣れているイエスの十字架の姿とは異なる。
④両足をそろえて、踵の骨に1本の釘が打ち込まれた。
*骨を支えるために、オリーブの木片が使用された。
Ⅱ.イエスはなぜ十字架で死んだのか
イントロダクション
(1)福音記者たちは、十字架刑の内容について、詳細には語っていない。
①当時の読者たちには、周知の事実である。
②十字架に関する、キリスト論的な理解を提供しようとしている。
*イエスは、なぜ十字架で死んだのか。
*それが、私たちにとってどういう意味があるのか。
(2)イエスの罪状
①ユダヤ総督のポンテオ・ピラトが、有罪宣言をした。
*ユダヤ人が有罪宣言をしていたなら、イエスは石打の刑で死んでいた。
②ヨハネ19:19~20
「ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには『ユダヤ人の王ナザレ人イエス』と書いてあった。それで、大ぜいのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったからである。またそれはヘブル語、ラテン語、ギリシヤ語で書いてあった」
*サンヘドリンは、冒とく罪でイエスを死刑にしようとした。
*ローマ人は、反逆罪(カエサルへの反抗)でイエスを処刑した。
*モーセの律法によれば、イエスの死は、呪われた死である。
*ユダヤ人もローマ人も、ともに責任がある。
*ユダヤ人の指導者たちと、民衆の責任を、注意深く区別している。
③Ⅰコリント1:23~24
「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです」
*十字架は、ユダヤ人にとってはつまずきである。
*異邦人にとっては、愚かである。
*なぜ初期の信者たちは、「イエスは主なり」と告白するようになったのか。
1.イエスの死は、人類の罪を贖うためのものである。
(1)ローマ3:25
「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです」
①十字架は、救いの土台である。
2.イエスの死は、モーセの律法を終わらせた。
(1)ガラテヤ3:13
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです」
3.イエスの死は、キリストの教会を産み出した。
(1)エペソ2:14~16
「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました」
4.イエスの死は、信者の内に起こることを示している。
(1)信者が受ける洗礼の意味
①死の体験
*罪に対して死んだ(ロマ6:6)。
*この世に対して死んだ(ガラ6:14)。
②復活の体験(新しいいのちの始まり)
5.イエスの死は、復活によってその信頼性が証明された。
(1)ヨハネ3:14
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません」
①死そのものが、高揚につながっている。
(2)ヨハネ12:32~33
「わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。イエスは自分がどのような死に方で死ぬかを示して、このことを言われたのである」
①十字架と、復活、昇天が、ひとつのものとなっている。
結 論
1.十字架のことばの愚かさ
(1)神の計画は、この世の知恵から見ると、愚かに思える。
(2)神は、逆説的に、神の力を啓示された。
(3)Ⅰコリント1:18~25
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする』。知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」
2.私たちの応答
(1)苦難の中の慰め
(2)信者の行動原則
①神への従順
②他者への愛
(3)ピリピ2:5~11
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」
イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?
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