2023
07.21
Q.352 弟子たちが復活したイエスを認識できなかったのはなぜですか。
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Q.質問
Q:ルカ24章において、復活したイエス様が弟子たちの前に現れても、イエス様だとは認識できなかった様ですが、それが本当にイエス様であったなら、なぜイエス様は、誰が見ても分かる様子で復活なさらなかったのでしょうか。本当は、イエス様ではなくて、誰かイエス様をよくご存じの方がイエス様のふりをして現れたとは考えられないのでしょうか。今までイエス様の復活を信じていましたが、最近は、悪いことばかり重なり、本当にイエス様が神なのかという疑問が湧いてきました。
A.回答
A :はじめに
聖書には、この問いに対する答えは書かれていませんが、考えられる理由を、いつものように3つ申し上げます。
1 番目に、総論的理由です。
(1)弟子たちは、イエスが復活するとは夢にも思っていませんでした。
①イエスは、自らの死と復活を予告していました。
②しかし、それは弟子たちの理解を超えることでした。
(2)これは「心理的要因」と言えるでしょう。
①弟子たちの世界観の中には、復活の可能性はありませんでした。
②それゆえ、イエスが現れても認識できなったのです。
2 番目に、各論的理由です。
(1)マグダラのマリアは、イエスを認識することができませんでした(ヨハ20章)。
①彼女は、イエスを園の管理人だと誤解しました。
②イエスと彼女の距離、その時間の明るさ、涙目などを考慮する必要があります。
(2)漁に出た弟子たちは、イエスを認識することができませんでした(ヨハ21章)。
①この場合も、距離の問題と明るさの問題があります。
②岸に上がって以降は、全員がイエスを認識しました。
(3)エマオ途上の2人は、イエスを認識することができませんでした(ルカ24章)。
①この場合は、「心理的要因」以外に、「神の意図」が考えられます。
②神は、この2人に聖書を学ばせるために、目に覆いをかけておられたのでしょう。
3 番目に、結論です。
(1)もし作り話なら、もっと都合よく物語を書いていたはずです。
(2)弟子たちの変化、殉教、誠実な態度などが、復活の真実性を証ししています。
(3)試練には意味があることを体験から学びましょう。
イエスの復活は、歴史的事実です。