2020
07.29
Q.253 エホバの証人は、なぜ輸血を拒否するのですか。
編集Mは小学生のころ、自分がクリスチャンだと告げると必ず「じゃあ輸血とかダメなんだー」「いやいや、それじゃないから」と言うやり取りがあったのを思い出します。子供にとっても印象的な、エホバの証人の輸血拒否の教え。一体どこから来ているのでしょうか?
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Q. 質問
Q :私の友人にエホバの証人の信者がいます。彼が言うには、聖書は輸血を禁止しているということです。輸血をどう答えればよいか、教えてください。
A. 回答
A:エホバの証人が教える輸血禁止は、よく社会問題や医療問題になっています。このテーマに関して、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、モーセの律法は、血を食べることを禁止しています。
たとえば、レビ記7章26節にはこうあります。「また、あなたがたは、どこに住んでいても、鳥でも動物でもその血をいっさい食べてはならない」。この規定は、イスラエルの民を偶像礼拝から遠ざけるためのものであり、さらに、命の尊厳を教えるためのものです。この規定は、使徒15章19〜21節でも繰り返されています。レビ記17章11節にはこうあります。「実に、肉のいのちは血の中にある」。つまり、血を食べないと言うことは、命を大切にするということです。
2番目に、血を食べることと輸血は、全く別のものです。
血を食べると、それは消化器に入ります。輸血すると、それは循環器に入ります。両者を同じと見なすのは、拡大解釈です。あるいは、聖書が意図していないことを聖書に押しつける解釈です。そもそも聖書が書かれた時代に「輸血」は存在していなかったのですから、存在していないものを禁止するというのは、理屈に合いません。
3番目に、輸血をすべきかどうかに関しては、聖書は何も語っていません。
聖書が沈黙しているテーマに関しては、各人が神との関係で、良心に照らし合わせて、自分で判断すべきです。私は、輸血を認めている立場にいます。なぜなら、輸血は人の命を救うための医療行為だからです。献血をする人は、愛の行為を実践していると考えられます。血を食することを禁止する目的は、命の尊厳を教えるためでした。そう考えると、輸血によって命を救うことは、モーセの律法の趣旨と調和していると思います。
参考になる聖句
「実に、肉のいのちは血の中にある」 (レビ記17:11)
聖書は、輸血に関しては何も触れていません。