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2019

06.10

Q.211 自慰(オナニー)は罪ですか。

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良いご質問を、ありがとうございます。恥ずかしいけど、実はこれで悩んでいる・・・という方は多いと思います。ちなみに「オナニー」という言葉は、聖書に出てくるある人物の名前から来ているんですって。さっそく解説をご覧ください!

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Q. 質問

Q :クリスチャンになってから、自慰(オナニー、マスターベイション)が罪かどうか悩んでいます。どこまでだったら許されるのか、教えてください。

A. 回答

A:似たような質問をよく受けますので、自慰(オナニー、マスターベイション)に関する聖書の教えを取り上げたいと思います。いつものように3つ申し上げます。

1番目に、自慰に関しては、聖書は沈黙しています。

つまり、聖書には、自慰が罪かどうかに関する直接的な教えがないということです。自慰が罪だと主張する人たちは、その根拠として、創世記38章9節を取り上げます。 「オナンは、生まれる子が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入ると地に流していた」 。ちなみに、オナンという名前からオナニーという言葉が派生しています。ここでのオナンの罪は、死んだ兄のために子を残すという責務を果たしていないこと、つまり、神に対する反抗であって、自慰行為ではありません。

2番目に、自慰に至る過程において、心の中で起っていることは罪です。

自慰が罪かどうかに関しては断定的なことは言えませんが、そこに至る過程で起ることは、明らかに罪です。情欲、不適切な性的刺激、ポルノの影響などと無関係に、自慰行為に及ぶ人はいないと思います。主イエスは、 「しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです」 (マタイ5:28)と言われました。従って、自慰で悩む人は、行為そのものを悔い改める前に、心に情欲を抱くことを悔い改めるべきです。そうすれば、情欲の奴隷になる可能性は低くなります。

3番目に、自慰が罪であるかどうかは、聖書の一般原則に基づいて判断すべきです。

聖書の一般原則を4つ上げておきます。(1)信仰から出ていないことは、罪です。つまり、神との信頼関係を破壊することは罪だということです。(2)体は聖霊の宮です。それゆえ、自分の体をどう扱うかについて、細心の注意を払うべきです。(3)自制は、御霊の実のひとつです。聖霊に満たされているなら、自制心が働きます。(4)神の栄光がクリスチャン生活のゴールです。 「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」 (第一コリント10:31)。

参考になる聖句

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」 (第一コリント10:31)

 自慰行為を問題にする前に、そこに至る過程を問題にすべきです。

もっと詳しく知りたい方は

創世記(51)—ユダの物語—

オナニーの語源となった「オナン」の登場する聖書箇所の、前後を含む解説はこちら。なぜ「地に流す」ことが罪だったのか? 現代人にはわかりにくい部分がよく理解できます。また性的な堕落がもたらす結果などにもたくさん触れられている箇所です。

 

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