今回は、障害をお持ちの方からのご質問です。回答の結論が先にわかってしまうようですが・・・「意味なく生かされている人はひとりもいません。」人間の価値とは、神の目から見た奉仕とは?さあ、さっそく動画をご覧下さい。
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Q. 質問
Q:細かい事情は割愛しますが、私にはある障害があります。何かの役に立ちたくて、教会に自分にできる奉仕はないかと聞いてみましたが、話をうやむやにされてしまいました。社会貢献ができない障害者の生きる価値や役割とは、キリスト教的にはどういったものになりますか。自分が地上で生かされている理由がわからず、とても苦しいです。
A. 回答
A:先ず覚えたいのは、神様は健康で強い人の神でもあり、病気で弱い人の神でもあるということです。その上で、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、原罪が被造世界に呪いをもたらしました。
なぜある方は障害をもって生まれてくるのでしょうか。あるいは、事故に会って障害を持つようになるのでしょうか。それは、アダムの罪によって被造世界が異常な状態になっているからです。実は、私たちはすべてなんらかの意味での障害を持っています。また、年齢を重ねるに従って体が不自由になり、最後は死に至ります。障害がその人が犯した罪のゆえであるという考え方を聖書は否定しています。しかし、原罪が被造世界に呪いをもたらしたというのは、聖書の教えです。
2番目に、人間の価値を計る基準として、2つのものがあります。
ひとつは「行為」という基準であり、もうひとつは「存在」という基準です。前者は、「〇〇ができるから価値がある」と言い、後者は、「存在そのものに価値がある」と言います。ご質問の方は、「行為」という基準だけを適用し、自分には価値がないと思っておられるのです。しかし、神様の目から見ると、「存在」という基準の方がはるかに重要です。私たちはみな老いていきますが、だからと言って価値が下がっていくわけではありません。
3番目に、与えられた状況を受容することを学びましょう。
私は、苦難の中にいながら喜びをもって生きておられる方を何人も知っています。その人たちは、自分が置かれた環境の中で、神との関係を喜び、生かされていることを感謝している人たちです。そのこと自体が、神様の目から見ると、最高の奉仕です。苦難の中でも喜べる理由はなんでしょうか。①より神に信頼するようになるからです。②今の苦難は、一時的であることを知っているからです。③永遠のいのちの希望があるからです。
参考になる聖句
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」 (1テサロニケ 5:16〜18)
意味なく生かされている人はひとりもいません。
もっと詳しく知りたい方は
からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
キリストの使徒たちが伝えたこと(2)―使徒信条とは―「イントロダクション(2)」(アウトラインPDF)
△「使徒信条」という、多くの教会で毎週繰り返し読まれている文章を詳しく解説しながら、苦難の意味について考えている回です。