「聖霊がクリスチャンの心に宿るなら、クリスチャン一人一人も神だと言えるのですか。」というご質問です。これを読んで驚かれた方も多いかと思いますが、「あなたも神ですよ」という言葉は、汎神論的信仰や、ニューエイジ運動などでよくあるそうです。では聖書的には、聖霊が心に宿るとはどんなことなのか?さっそく解説をご覧ください。
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Q. 質問
Q:三位一体の神の第三位格である聖霊がクリスチャンの心に宿るなら、クリスチャン一人一人も神だと言えるのですか。またクリスチャンは、無限の力を持つ聖霊という神が宿っているのだから、自分には無限の力があるという自信・自覚を持つべきなのでしょうか。
A. 回答
A:この方は、どこかでそのように語られるメッセージをお聞きになられたのでしょう。大変心配です。このテーマについて、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、イエス・キリストを信じた人の内に、聖霊が宿ることはその通りです。
パウロは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」(1コリ3:16)と書いています。聖霊が信者の心に宿ることを、「聖霊の内住」と言います。本人が自覚しているかどうかに関係なしに、信者の内には聖霊がおられます。
2番目に、「聖霊の内住」があっても、「あなたも神ですよ」とは言えません。
「あなたも神ですよ」という言葉は、汎神論的信仰、あるいは、ニューエイジ運動の教えと深い関係があります。「あなたの内に神の性質がある。それを発見し、解放することが、救いにつながる」というのがそれです。その教えが、キリスト教信仰に悪影響を与えています。もっと言うなら、「あなたも神ですよ」という教えは、悪魔から来ています。悪魔は、「あなたも神のようになる」という嘘で、エバを欺きました。
3番目に、自分には無限の力があるという自信・自覚を持つのは、間違った態度です。
内住の聖霊は、クリスチャンに「御霊の実」を与えます。パウロはこう書いています。「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラ5:22~23)。クリスチャンは、内住の聖霊によって自信を付けるのではなく、父なる神への信頼を深くするのです。内住の聖霊は、私たちをキリストに似た者に変えてくださいます。
参考になる聖句
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラ5:22~23)
内住の聖霊は、私たちをキリストに似た者に変えてくださいます。
もっと詳しく知りたい方は
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません(ガラテヤ5:22〜23)