「ある教会では、洗礼を受けなければ救われないと教えています。それは聖書的な教えでしょうか」というご質問です。ハーベスト・タイムでは、救いの条件は、福音の三要素のみだと繰り返しお伝えしていますので、答えは明らかなようにも思われます。しかしそれでは、洗礼の意味とは何でしょう。さっそくご覧ください。
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Q. 質問
Q:ある教会では、洗礼を受けなければ救われないと教えています。それは聖書的な教えでしょうか。A. 回答
A:これは「洗礼は救いの条件か」という質問です。結論から申し上げますと、洗礼を受けなければ救われないという教えは、聖書的ではありません。洗礼について、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、救いは、100%恵みにより、信仰によって与えられます。
つまり、キリストが私の罪のために死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目に甦られたことを信じ、キリストに信頼を置くなら、その人は救われているということです。私たちの側で何かを付け加える必要はありませんし、また、付け加えることもできません。もし洗礼が救いの条件だというなら、その人は、キリストの贖罪の死が不十分だと告白していることになります。もし洗礼が救いの条件であるなら、聖書が教える救いは、恵みと信仰によるものではなく、業によるものとなります。
2番目に、洗礼は、すでに救われいる人が受けるものです。
もし救いに至る信仰を持っていないなら、いくら洗礼を受けても無意味です。儀式で人が救われることはありません。洗礼は、すでに救われている人がキリストに対する従順を表わすために受けるものです。つまり、キリストの弟子として歩むための第一歩が洗礼なのです。本来の洗礼は、全身を水に浸すものです。それは、信じた人が、キリストとともに死に、葬られ、復活したことを象徴しています。もし救われていないなら、これらの象徴にはなんの意味もありません。
3番目に、洗礼は、自分の信仰を公にするために受けるものです。
初代教会では、たとえ自分は信じたと言っていても、もし洗礼を受けることを拒むなら、その人はまだ救われていないと見なされました。自分の信仰を公にすることを拒むのは、まだ救いに至る信仰がないからだと考えられたからです。
ちなみに、幼児洗礼もまた非聖書的な習慣です。幼児は自覚的に信仰を持つことはできません。また、自分の信仰を公に表わすこともできません。幼児洗礼については、次回取り上げたいと思います。
参考になる聖句
「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」(ロマ6:4)
洗礼は、キリストを信じた人が、従順のしるしとして受けるものです。
もっと詳しく知りたい方は
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです(ローマ6:4)