神が全能なら、生け贄などなくても人を救えるのではないか?これが今回の質問です。でも、神が正義のお方であるなら、罪に対する裁きが無いのというもおかしな話ですね。旧約時代には、罪を贖うために動物の生け贄が繰り返し捧げられました。生け贄と聞くと残酷なようですが、罪の代償には、血が必要なのです。それほど罪は恐ろしいものです。そんな私たち人間のために、たった一度で完全な贖いを成し遂げる「究極の生け贄」が与えられました。それは・・・?
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Q. 質問
神が全能なら、生け贄などなくても、人を救えるのではないですか。
A. 回答
神は全能ですが、なんでもできるという意味での全能ではありません。もしそうなら、神は予測不可能な、恐るべき存在となります。神は、混乱の神ではなく、愛と秩序の神です。
いつものように3つ申し上げます。
1.神の全能性には、いくつかの制約があります。
(1)神は、不合理なことはされません。
「神は、自分でも動かせないほどの巨大な石を作ることができるか」
(2)神は、正義に反することはされません。
(3)神は、愛に反することはされません。
2.生け贄が必要なのは、神の正義がそれを要求するからです。
(1)罪に対する裁きがないのは、正義に反することです。
(2)「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである」(レビ17:11)
(3)神は、罪の贖いのために「生け贄の血」を用意されました。
3.イエス・キリストが究極的な生け贄となられたのは、神の愛の現れです。
(1)動物の血は、人間の罪を一時的に覆うだけでした。
(2)罪のないイエス・キリストの血だけが私たちの罪を贖うことができます。
(3)神の愛は、イエス・キリストの十字架によって明らかにされました。
参考になる聖句
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(1ヨハ4:10)
人は、神が用意された方法でなければ救われません。
もっと詳しく知りたい方は
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです(第1ヨハネ 4:10)