レシピ19 「感謝」の法則
笑い話のような実話から始めましょう。
毎年、大量の「神様宛て」の手紙が、世界各地からエルサレムの郵便局に送られてきます。エルサレム中央郵便局の広報担当者イツァク・ラビヒヤ氏は、こう語っています。
「この郵便局では、宛先が神様かイエス・キリスト様となっている手紙を、数10万通も保管しています。どういうわけか、そういう手紙がエルサレムの郵便局に届くのです」
あるイスラエル人男性が、生活が苦しいのでどうしても5000シェケル(およそ12万円)与えて欲しいという懇願の手紙を、神様宛てに送ってきました。郵便局員たちは、その哀れな内容に心を動かされ、局内で4300シェケルの募金(要求よりは700シェケル不足している額)を集めて、その男に送金しました。
ひと月ほどしてから、同じ人物から再び神様宛ての手紙が送られてきました。そこには、こう書かれていました。
「神様、援助のお金を送っていただき、ありがとうございました。次に送っていただく時は、郵便局経由にしないようにお願いします。局員たちは泥棒です。彼らは、700シェケル盗んだのです」
感謝の心がないというのは、恐ろしいことです。この人物は、経済的に貧しかっただけでなく、心も貧しかったようです。
感謝と健康
感謝する心を持った人は、積極的で前向きな人生を歩むようになります。前向きな人は、心が健やかになると同時に、体も健康になります。米国で最近実施された、長寿に関するある調査結果を次に紹介します。
この調査は、およそ10年にわたって、1000人(65歳から85歳まで)を対象に実施されたものです。その結果は、実に興味深いものでした。
自分のことを楽天的だと考えている人は、そうでない人と比較して、病死する率が55%も低いという結果が出たのです(心臓病による死亡率だけを見ると、23%低い)
楽天的な人々には、肉体的により活発、飲酒や喫煙の量が少ない、などといった特徴があります。つまり、その人たちはストレスへの対応が上手だということです。
感謝の言葉を口にすることは、内面を健やかにするだけでなく、肉体までも健康にします。また、意識して感謝を始めると、不思議なことに、感謝することがどんどん増えていきます。感謝することによって、自分の感性が磨かれていくからです。不平不満よりも、感謝の言葉を口にする人の方が、他人から見た好感度が上がることは言うまでもありません。そういう意味では、感謝する人は、人間関係上手になります。
感謝と内面の成長
良いことが起こった時には、誰でも比較的容易に感謝することができます。問題は、感謝できないような事態に直面した時にどうするかです。
実は、感謝と内面の成長には相関関係があります。内面が成長してくると、今まで見過ごしていたようなことにでも感謝の思いを持つようになります。あなたは、次のようなことが起こった時に、幸せを感じたり、ありがたいなという思いになったりしますか。もしそうなら、あなたの内面(人格)は、確実に成長しています。
1. 試練や誘惑に打ち勝った時
2. 今まで知らなかったことに新しく目が開かれた時
3. 何かの出来事を通して、教訓を学んだ時
4. 失敗や成功を通して、謙遜にさせられた時
5. 苦しみの中で、誰かから助けられた時
6. 苦しみに耐える忍耐心が養われた時
7. 困っている人を助ける機会が与えられた時
以上のことは、そのほとんどが物質的な世界を超越した目に見えない世界のことです。年を重ねれば重ねるほど、目に見えるものはさほど重要でなくなり、心の在り方に関心が移行します。
私たちの感性は磨かれているでしょうか。日々、感謝する内容が増えているでしょうか。試練の中にある「隠れた祝福」に気づき、そのことに感謝できるようになっているなら、私たちの内面は完成へと近づきつつあります。
感謝と聖書の教え
バイブルは、感謝について次のように教えています。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」
「すべての事について、感謝しなさい」とは、不幸や悲劇をも感謝せよという意味ではありません。むしろ、どのような状況の中でも、決して変わらないものがあるから、意識的に感謝することを選び取れという意味です。
では、決して変わらないものとはなんでしょうか。それを持っている人は、すべての事について感謝できるでしょうが、そうでない人は、状況に左右されることになります。聖書が教える「不変のもの」とは、次のようなものです。
「私たちは神から愛されている。私たちが尊い存在であるという事実は、永遠に変わらない」。このことを信じた人は、「何が起ころうとも、すべては益に変えられる」という確信を持つことができます。その人こそ、逆境の時でも感謝の心を失わない人です。
大恐慌時代の感謝祭
ここで、先日読んだある実話を紹介します。
ウイリアム・スティッジャーという人は、20世紀前半に活躍した米国人のキリスト教伝道者です。1930年代の初め、彼は友人といっしょにレストランで食事をしていました。誰もが、大恐慌がいかに深刻な状況にあるかを話題にしていました。収入が途絶え、多くの自殺者も出ていました。話せば話すほど、会話の内容は深刻なものになって行きました。その時、ある牧師が立ってこう叫びました。
「ああ、困った、困った。2週間もすれば感謝祭がやってくる。何か積極的なことを語りたいが、こういう恐慌の中で、一体、どういうメッセージをしたらいいのか」
その瞬間、スティッジャーは、こういう天の声を聞いたような思いになります。
「今まで、あなたの人生で祝福となってくれた人のことを思い出し、この苦難の時に、その人たちに感謝の思いを伝えたらどうか」
彼はそのことについて思いを巡らしている内に、ある女の先生のことを思い出します。それは英文学の先生で、彼のためにたくさんの時間を割いて指導してくれた人でした。その影響で、彼は文学に関する理解を深めることができるようになりました。彼の執筆活動と説教とは、その先生の影響を大きく受けていたのです。その先生とは、長い間会っていなかったのですが、彼は感謝の手紙を書くことにしました。投函してほんの数日で、次のような返事が返ってきました。
「親愛なるウィリーへ」
当時スティッジャーは、およそ50歳になっており、頭も薄くなっていました。彼のことをウィリーと呼ぶ人は、誰もいませんでした。その呼びかけを読んだだけで、彼の心は温かくなりました。
「親愛なるウィリーへ。あなたの手紙が、どれほど慰めになったか言葉では言い表せません。私も80代になり、今は小さな部屋で一人暮らしです。自分で料理をし、孤独な生活をしています。まさに、人生の晩秋を迎えているような思いです。
今から言うことをしっかりと聞いてください。私は50年以上教師を勤めました。そして、あなたが送ってくれた手紙が、その50年間で初めて受け取った感謝状です。その手紙は、寒い、心が凍るような朝に、私のもとに届けられました。そしてそれは、ここ数年経験したことのないような喜びを、私にもたらしてくれました」
スティッジャーはこう語っています。
「私は決して感情的な男ではないが、その手紙を読んで大声で泣きました」
次に彼は、ある引退牧師のことを思い出します。その人は、最近奥さんを亡くして一人で生活するようになっていました。スティッジャーがまだ駆け出し牧師であった頃、その先輩牧師は彼のために時間を取って、いろいろな励ましと助言の言葉を語ってくれたのです。そこで彼は、この引退牧師にも手紙を書きました。そして、二日後に次のような返事がありました。
「親愛なるウィルへ。あなたの手紙は、本当に麗しいもの、真実なものでした。
自分の書斎でそれを読み、感謝のあまり涙を流してしまいました。私は椅子から立ち上がり、妻の名前を呼びました。彼女がそこにいないことも忘れてそうしたのです。あなたの手紙が私の心をどれほど慰めてくれたか、あなたには想像もつかないことでしょう。一日中、あなたの手紙が発している輝きの中を、私は歩き続けています」
この章のポイント
1. 感謝と健康には、深い相関関係がある。
2. 人格的に成長するに従って、感謝することが多くなる。
3. 感謝の言葉は、それを受ける人に癒しと慰めをもたらす。
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