レシピ10 「言葉」の法則

先日、三島駅で新幹線の切符を買おうと並んで待っていた時のことです。私の前にいた人が、乱暴な言葉遣いで駅員に話しかけていました。まるで主人が召使に命令しているような口調です。私は思わずその人の顔を見てしまいました。水前寺清子の歌に「ぼろは着てても、心の錦、どんな花より、きれいだぜ」というのがありますが(古い話で恐縮です)、この人の場合は、「錦着てても、心はぼろい」ということなのでしょう。立派なコートを着ていただけに、その人の心の貧しさが一層哀れに思えました。
ある人が、「あなたに対しては良い人であっても、レストランのウエイトレスに対して乱暴な言葉遣いをする人なら、その人は悪い人である」と書いていたのを思い出しました。言葉はその人の内面を写す鏡です。

言葉の力

言葉の力に関して、こういう実話があります。
1934年のことです。ヨーロッパでは、ヒットラーの反ユダヤ主義が野火のように広がりつつありました(最終的には、ナチス・ドイツの手によって600万人のユダヤ人が虐殺されることになります)。

ヨーロッパに反ユダヤ主義の嵐が吹き荒れる中で、ハインツという11歳のユダヤ人の少年は、偉大な教訓を学んでいました。彼が住んでいたのは、ドイツ・ヴァイマル共和国、フュルトのバイエルン村でした。その辺りでも、ユダヤ人とドイツ人の緊張関係は日に日に高まっていました。ハインツの父親は教師でしたが、やがて職を追われ、家族は試練の中に投げ込まれました。ヒットラー・ユーゲント(ナチス・ドイツの青少年団)の悪がきどもが、騒動を起こす口実を見つけるために、村の近辺に出没するようになっていました。
ハインツ少年は、彼らとトラブルを起こさないように細心の注意を払っていました。向こうからトラブルメーカーの一群がやってくるのが見えたら、即座に道を横断して反対側に移動しました。しかし、いくら注意していても、トラブルに巻き込まれることもありました。
ある日ハインツ少年は、ヒットラー・ユーゲントの若者と鉢合わせになりました。その状況では、暴力沙汰は避けられないと思われました。しかしその日、彼は無事にその場を立ち去ることができました。喧嘩に勝ったのではなく、言葉を駆使したからです。彼は争う必要はないと、相手を説得したのです。その時以来、ハインツ少年は、争いを回避するために言葉がいかに有効な武器であるかを確信したといいます。反ユダヤ主義が蔓延する社会で暮らす中で、彼は言葉という武器を有効に用いるための技術を磨いていきました。その後、幸運にも彼の一家はアメリカに移住し、ナチの迫害から逃れることができました。

それから何年も経って、ハインツ少年は「平和のための交渉人」と呼ばれるようになりました。彼は今も(2008年9月現在)健在ですが、やがて20世紀最大の国際紛争の調停者と呼ばれるようになることでしょう。今では、彼のことをハインツと呼ぶ人はいません。アメリカに移住してから、アングロサクソン化した名を採用するようになったからです。今彼は、ヘンリー・キッシンジャーという名で世界中に知られています。

バイブルと言葉

バイブルは、舌(言葉)の管理について、多くのことを教えています。たとえば、イエス・キリストの弟のヤコブという人は、こう書いています。

「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。…しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています」

その教えから、言葉について次のような教訓を学ぶことができます。
1. 言葉の失敗は誰にでもあるものです。先ずそのことを自覚しましょう。
言葉で失敗しない人は、「からだ全体」も制御できるようになります。つまり、生活のあらゆる部分について自制できる状態になれるということです。

2. 舌は馬の口に付ける「くつわ」、船を操る「舵」のようなものです。
舌は体の中では小さな器官ですが、人の人生を動かすほどの力を持っています。舌は自慢したり、傲慢な言葉を吐いたり、他人を批判したりしながら、私たちの人生を堕落へと追い込んでいきます。しかし、その舌を正しく用いるなら、私たちは人格的に成長し、人から信頼される人物になります。

3. 舌の管理は、心の管理から始まります。
舌は私たちの内にある邪悪な思いを外に出し、それによって体全体を汚します。これは、「渋柿と甘柿」の法則そのままです。その結果、私たちの人生は破壊されます。舌の持つ破壊力がどれほどのものであるかは、ナチの反ユダヤ主義的プロパガンダや、テロを扇動するアジ演説などを見ればよく分かります。舌によって民族虐殺が行なわれ、無差別テロが可能になるのです。
個人的な意味でも政治的な意味でも、舌が持つ破壊力を認識し、それを正しい方向に用いるように努力する必要があります。

人間関係と言葉

よい人間関係を築きたいと思うなら、相手を受容し励ます言葉、積極的な言葉を語るべきです。このことは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行われた研究でも明らかになっています(UCLAリサーチ・レポート)。

その研究によれば、夫婦はある簡単なことを実行に移すだけで、相手に満足感を与え、お互いの関係を親密なものにすることができるといいます。その簡単なこととは、結婚相手が嬉しい話をしてくれた時には、それに積極的に応答するということです。
「きょう、こんな嬉しいことがあったの」と妻が言えば、夫は、「それはよかった。本当によかったね」と応じるのです。
この研究に参加したシェリー・ゲイブル博士によれば、受動的に相手の言うことを聞くだけではだめで、積極的に応答し、時には相手を抱きしめたり、指を立てて喜んだりすべきだといいます。相手にそういう反応を示すなら、相手もまたこちらに対してよい感情を抱くようになるそうです。

日本人にとっては、相手を抱きしめたり、指を立てて喜んだりするのが恥じらいもあって抵抗感があります。しかし、日本人なりに同意を示す方法はあるはずです。笑顔で応じたり、頷いたり、手を叩いたりすることは、好意の表現となります。
この原則は、すべての人間関係に有効に働くものです。「言葉」について難しく考える必要はありません。先ずは、簡単なことから始めようではありませんか。「よかったね」、「すごいじゃない」、「さすがだね」、「うれしいね」といった単純な言葉が、人間関係の潤滑油となります。

「言葉」は両刃の剣です。もしあなたが、言葉は相手を傷つける凶器にもなり得ることを信じていないなら、今すぐその考え方を改めるべきです。世の中には、子ども時代に両親から言われた愛のない言葉で傷ついている人、学生時代に教師から浴びせられた厳しい言葉で痛んでいる人、職場で上司から聞いた無理解な言葉で苦しんでいる人が、たくさんいます。言葉の持つ力を熟知していないなら、私たちもまた加害者になり得るのです。言葉による傷は、目に見えないだけに深く潜行し、いつまでも癒されないものです。

「言葉」には、傷ついた人を癒す力もあります。バイブルはこう教えています。
「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする」
「言葉」を攻撃的な剣としてではなく、癒しの道具として用いる人は人生の達人です。

この章のポイント

1. 言葉は武器ともなれば、癒しの道具ともなることを知れ。
2. 言葉の管理は、心の管理から始めよ。
3. 相手を生かそうと思うなら、積極的に応答せよ。