レシピ9 「知恵」の法則
テレビをつけると、クイズ番組が大流行です。有名タレントが出演するものから視聴者参加型まで、さまざまな番組があります。賞金もお遊び程度のものから1000万円という大型のものまで、いろいろです。これだけクイズ番組が多いのは視聴率が稼げるからですが、制作する側にとっては比較的安価に、お手軽に作れることも魅力の一つになっているのでしょう。
知識と知恵の違い
世の中には「物知り」がいるものです。難問、奇問に見事に答えていく人たちを見ていると、自分がクイズ番組向きではないことを痛感させられます。私が特に弱いのは、芸能やスポーツの分野です。しかし、がっかりする必要はありません。「知識人」が必ずしも幸せな人生を歩んでいるわけではなく、「知恵者」でもないからです。
知識と知恵とは別のものです。定義するなら、情報を収集し蓄積したものが「知識」であり、その知識を実生活に適用する原則が「知恵」だと言えるでしょう。コンピュータにたとえれば、プログラムに相当するものが「知識」であり、OS(オペレーティング・システム)に相当するものが「知恵」です。いくらプログラムが優秀でその数が多くても、OSがいいかげんなら、システム全体は機能障害を起こします。それと同じように、いくら「知識」があっても、「知恵」がないなら、その人の人生はどこかで破綻をきたすことになります。
情報化社会を生き延びるための知恵
年々、情報量は飛躍的に増加しています。私たちは今、情報の大波におぼれそうになりながら生きています。そういう時代にあって、必要な情報とそうでない情報とを見分ける目を持つことは、極めて重要なことです。そのために必要なものは、情報の重要性を見分けるセンスです。このセンスのことを「知恵」と呼んでもいいでしょう。
2005年に行われた非公開型インターネットアンケートでは、テレビ、新聞、インターネットなどのメディアの「速報性と信頼性」について、次のような結果が出ています。
最も速報性が高いと思うメディアは?
「テレビ」が約61%、「インターネット」が約31%
最も詳しく、たくさんの情報が得られると思うメディアは?
「インターネット」が約45%、「テレビ」が約28%、「新聞」が約23%
最も信頼できる情報が得られると思うメディアは?
「新聞」が約48%、「テレビ」が約36%、「インターネット」はわずか10%弱
一般ユーザーは、「インターネット」は情報量が多いが信頼性は低いと判断しているようです。メディアの評価に、すでに「知恵」の原則が働いていると言えます。
私自身は、情報の洪水から身を守るために次のような原則を採用しています。「必要が生じた時に探せば再度入手可能な情報は、保存しておかない」。これで、かなり身軽になれます。実際のところ、将来必要だと思って保存していた情報が役に立つことは稀です。
さらに、「例外的な場合を除いて、自分から積極的に情報を探しにいくことはしない。日常生活の中で飛び込んでくる情報だけを取捨選択する」という原則も実行しています。これによって、情報からくる脅迫観念から解放されます。
情報の取捨選択は、ほとんど瞬間的に、本能的に行っています。つまり、「第六感」による判断です。これもまた「知恵」と呼べるのでしょう。
バイブルが教える「知恵」
バイブルは「知恵」を、「主(神)を恐れること」と定義しています。
「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」
では「主(神)を恐れる」とはどういうことでしょうか。それは、裁きや呪いを恐れたり、地獄の存在に恐怖心を抱いたりといったたぐいの恐れではありません。そのような恐れは、人を束縛し、精神的な奴隷状態に閉じ込めます。
「知恵」が感じる恐れとは、「畏怖の念」とでも言うべき恐れです。その実体は、人間を超越した大いなる存在に対する畏敬の念です。
現代の日本では、人の価値は偏差値や業績などで計られる傾向があります。しかしバイブルは、全く異なった基準で私たちを評価しています。その人がどれだけ誠実に人としての道を歩んでいるかどうかが、バイブルが人を評価する際の基準です。
種類こそ違え、誰にでも誘惑は襲ってきます。誘惑に遭わない人など一人もいないはずです。違いは、誘惑に負けるのか、誘惑をはねのけるのかにあります。誘惑に打ち勝つ究極的な力は、「知恵」です。冷静になって考えれば分かることですが、罪を犯すことほど割合わないことはありません。罪を犯す前にそのことを教えてくれるのが、「知恵」です。
米国イリノイ州に住むある牧師が、このような体験を披露しています。
「数週間前、ジョギングをしている途中、左の腰の辺りでギクッという音がした。しばらくは足を引きずりながら前に進んだが、やがて激痛が襲い、その場にうずくまってしまった。その後、やっとのことで家に辿り着いた。
大腿骨の一番上に付いている小さな毛筋が破損したため、全身に影響が出てきた。傷ついた左の腰が痛むのは分かるが、不思議なことに、正常なはずの右の腰まで痛み始めた。その上、自転車に乗ると、両膝が鋭い音を立て始めた。ついに、手すりに頼らなければ階段を上れないような状態にまでなってしまった。
私は、理学療法士を訪ねた。
『私の身体に、一体何が起こっているのですか』
『補償現象ですよ。左の腰をかばったために、右の腰が痛むようになり、腰の痛みをかばったために両膝に問題が出てきたのです』と療法士が答えた。
その日私は、左の腰から両膝にかけての筋肉が、異常に収縮しているとの診断を受けた。
この体験を通して、私はバイブルが教える『罪の本質』について考えるようになった。誰の人生でも同じことであるが、一つの罪を覆い隠そうとすると、うまくいったようでも、やがて別の箇所に問題が出てくる。罪もまた常に、『補償現象』を要求しているのである」
この牧師が語っているのは、「一つ嘘を言うと、それを隠すためにさらに大きな嘘を言わざるを得なくなる」というのと同じことです。
現在私は、数名の受刑者たちと文通をしています。ほとんどが長期刑の受刑者たちです。九州のある刑務所にいるNさんという男性は、還暦を迎える年になりましたが、まだ出獄の目途は立っていません。先日受け取った手紙には、今年で刑務所生活が35年目になると書かれてありました。それを読んで、私は絶句しました。彼は25歳の時から今に至るまで、拘束された生活を送っているのです。なんと長い期間でしょうか。重大な罪を犯したために長期刑に服しているのでしょうが、やりきれない思いになります。彼の人生は、「罪を犯すのは割に合わないものだ」ということを絵に描いたような人生です。「知恵」というブレーキが正常に作動していたなら、彼の人生は全く変わっていたことでしょう。
価値ある投資
現在米国には、「社会に貢献している企業」にのみ投資を行う投資信託が、150種類ほどあるそうです。ところが、2002年にそれとは正反対の投資基準をうたい文句にした投資信託が登場しました。「悪徳投資信託」として知られる一連の投資信託がそれです。その理念は、「社会的に問題があると考えられる企業」に投資するというもので、対象となるのは、嗜好品、ギャンブル、軍事物資関連の企業などです。この投資信託の企画者たちは、「人間の弱点や暗部に訴えかける企業は、不況にあっても倒産することはない」と深く確信しているのです。
ダン・アーレンスという人物は、「悪徳投資信託」の元マネージャーですが、新たに「ゲームとカジノ投資信託」を始めました。その経緯を、彼は『悪徳への投資』という本の中で紹介しています。彼の信念は、不況が来ても人間の悪癖は直らない、株式市場でどのようなことが起ころうとも、人々は悪徳を求め続けるであろうというものです。さらに彼は、戦争には経済的利益が伴うとも書いています。今のところ、この種の投資信託は確かに成果を上げています。「悪徳投資信託」はこの5年間で20%以上の配当を行なっています。
しかし、このような闇情報に踊らされてはなりません。むしろ私たちは、このような投資がいつまでも順調に果実を生み続けるかどうかを問題にせねばなりません。いずれ、どのような投資が正しかったのかが明らかになる日が来ることでしょう。いつの時代にも通用するものを求めることこそ、知恵の実行です。
この章のポイント
1. 膨大な情報は、知恵によって取捨選択し、管理せよ。
2. 罪を犯すのは、割に合わないことだと知れ。
3. いつの時代にも通用するものを求めよ。