レシピ4 「好機到来」の法則

人生の達人の言葉

バイブルはおよそ40人の人たちによって書かれていますが、その中に、あらゆる栄華や快楽、また労苦を体験した人生の達人がいます。その人が、「好機」についてこう書き記しています。

「太陽の下、再びわたしは見た。足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない。知恵があるといってパンにありつくのでも、聡明だからといって富を得るのでも、知識があるといって好意をもたれるのでもない。時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ」

すべての人の人生に、「時と機会」が訪れます。しかし、その「時と機会」を生かす人もいれば、逃す人もいます。どちらになるかで、人生の結末は大いに異なってきます。もし「時と機会」が輝くような衣服を来て目の前に現われてくれるなら、自分の人生にも好機が到来していることがすぐに分かります。しかし、現実的にはそれと正反対で、好機は意外な姿をして現われることが多いのです。

ゴリラの縫いぐるみ

英国人の心理学者リチャード・ワイズマン博士は、『運のいい人にはワケがある! 運を鍛える《ゴリラ》の法則』という著書の中で、非常に興味深い実験を紹介しています。以下、その実験の内容です。

実験に参加する人たちに、バスケットボールの試合が録画されている30秒のビデオを見せます。彼らには、片方のチームが何度ボールをパスしたかを数えるようにという課題が与えられます。
(実は、試合中にゴリラの縫いぐるみを着た人がコートの中を走り、カメラの前に立っておどけるのですが、それは秘密にしておきます)
さて、実験の結果です。驚くべきことに、ゴリラが登場したことに気づくのは、ほんの少数の人だけだそうです。なぜなのでしょうか。ほとんどの被験者が、パスの回数を数えることだけに神経を集中させていたために、ゴリラのことは完全に見逃していたのです。

ワイズマン博士によれば、ほとんどの人が人生をこのように生きているそうです。つまり、ほとんどの人が「ゴリラの姿をして目の前に現われる好機」を見逃しているということです。ここには、目の前にある課題だけに熱中し心を奪われていると、他のものを見る余裕がなくなるという教訓があります。「好機」はそれと分かる姿や形で目の前に現われるわけではありません。人生の「好機」は、往々にして「ゴリラ」のような姿で登場するのです。

次に紹介するのは、「好機」を見事に掴んだ例です。
スリーエム社の研究チームは、接着剤の研究をしていました。ある試作品が出来上がりましたが、試してみるとそれは接着度の低いものでした。チームメンバーのほとんどが、それは失敗作であると考えました。しかし、それをチャンス(好機)と捉えた一人の人がいました。その人の提案で、スリーエムはその試作品を製品化することにしました。そして出来上がったのが、自由に貼ったりはがしたりできるタイプの「付箋紙」です。消費者のニーズに応えたこの製品は、たちまち大ヒット商品となりました。今では「ポスト・イット」という商標で、多岐にわたる商品群が製造販売されています。あの時、もしチームメンバー全員が「その試作品は失敗である」との結論を出していたなら、「ポスト・イット」という製品は日の目を見ることなくゴミ箱に直行していたことでしょう。

ものごとを見る目は、「好機はゴリラの縫いぐるみを着て現われる」という警句を意識しただけで、劇的に変化するはずです。逆風が吹いてきた時、これはよいことが起こる前兆なのかもしれないと考えるだけで、前向き、積極的に生きることができるようになります。

積極思考

積極思考もまた、好機を捉えるために必要な資質です。ここで、1950年代にアメリカで起こったある実話を紹介しましょう。
ある人が、長年考えてきた自分のアイデアを原稿に書いて、それを出版社に送りました。彼は、採用されるまで何度もそれを繰り返しますが、いつまで経ってもどこからもよい返事が返ってきません。彼は深い失望に襲われ、ついに妻が見ている前で、自分が書いた原稿を屑入れに投げ捨てました。驚いた妻がそれを拾い上げようとすると、彼は厳しい口調でこう命じました。
「僕たちは、この件で十分過ぎるほどの時間を浪費してきた。もういいよ。絶対に屑入れから原稿を取り出してはならない」
ところが、この妻はがっかりするどころか、少なくても1回は自分の手で夫の原稿を出版社に届けようと決意し、直ちにそれを実行に移しました。
彼女は、原稿の入った屑入れを持ってある出版社を訪問し、それをそのまま編集長の机の上に置きました。屑入れからその原稿を取り出したのは、彼女ではなく編集長でした。その結果、彼女は「屑入れから原稿を取り出してはならない」という夫の命令を守り通すことができました。
原稿を読んだ編集長はその内容に感銘を受け、早速それを本にして出版することを決定しました。

その原稿を書いたのは、積極思考で世界的にその名を知られるようになるノーマン・ビンセント・ピールです。彼が屑入れに投げ捨てた原稿は、『積極思考の力』という題で出版され、最終的には3000万部を売り上げる大ベストセラーとなりました。その本を世に出したのは、著者の妻の「積極思考」でした。

モアブ人の女性ルツ

バイブルに登場する人物の中で、好機を見事に捉えた人と言えば、モアブ人の女性ルツが思い浮かびます。非ユダヤ人(異邦人)の女性がバイブルにその名を留めるのは極めて異例ですが、彼女の場合は、その名が『ルツ記』という書名の中にまで残されています。

『ルツ記』の内容を要約すると、次のようになります。
ある時、ユダヤ地方に激しい飢饉がやって来ました。古代中近東では、深刻な飢饉が襲ってくるのは決して珍しいことではありませんでした。
ユダヤ地方南部のベツレヘムという村に、エリメレクとナオミという夫婦が住んでいました。この夫妻は、二人の息子たちとともに、飢饉を避けてモアブの地に避難します。モアブと言えば、現代のヨルダンに当たります。
ところが、その地に滞在している間に夫エリメレクは死に、後にはナオミと二人の息子が残されます。やがて二人の息子は、ともにモアブ人の女性を妻に迎えます。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツでした。
それから約10年後、さらに悲劇がナオミを襲います。二人の息子もまた、死んでしまうのです。絶望の淵に立たされたナオミは、モアブの地から故郷のベツレヘムに帰る決心をします。彼女は二人の嫁をその地に留まらせようとしますが、ルツだけはどうしても姑のナオミに付いてベツレヘムに行きたいと懇願します。ルツの決意が固いのを見て、ナオミもついに折れます。

ベツレヘムでの生活は決して楽なものではありませんでした。しかしルツは姑のナオミを敬愛し、自分が置かれた境遇の中で精一杯生きようとしました。
ルツの生涯を要約するキーワードを上げるとするなら、「謙遜」、「勤勉」、「好機到来」となるでしょう。
 
ある日ルツは、「落ち穂拾い」に行かせて欲しいとナオミに願い出ます。落ち穂拾いとは、収穫が終わった畑に落ちている麦の穂を集めることです。「落ち穂拾い」の習慣は、モーセの時代からバイブルに定められていることで、その目的は、経済的弱者(貧しい者と在留異国人)を保護することにありました。裕福な者たちは、収穫の際に畑の隅々まで刈りつくさないように、また、落ち穂を集めないように、注意していました。社会保障制度のない時代に、弱者はこの習慣によってかろうじて生活を維持することができたのです。
ルツは貧しい生活を送っていた在留異国人ですので、落穂拾いに出かける権利がありました。とは言え、見知らぬ人の畑に足を踏み入れて落ち穂を拾い集めるのです。当然、非ユダヤ人に対する嫌がらせや妨害が予想されました。落穂拾いは、謙遜な人でなければできることではありません。ルツの芯の強さに感銘を覚えるのは私だけではないと思います。

またルツは、本質的に勤勉な女性でした。彼女が「落ち穂拾い」に出かけた理由は、他人の世話になることを拒否し、自分の手で得た収入で生きようとしたからです。経済的自立を目指すことは、自由人として生きることにつながります。

バイブルには、次のような言葉があります。

「勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する」
「なまけ者は欲を起こしても心に何もない。しかし勤勉な者の心は満たされる」

ルツが足を踏み入れた畑は、はからずもボアズという人の畑でした。「はからずも」という言葉は、「好機到来」を示したものです。ルツの人生にも、好機は「ゴリラの姿」を取ってやって来ました。かつては自国モアブにおいて安定した生活を送っていたルツが、寡婦となって異国に移住してきたのです。しかも彼女は、「落穂拾い」という労働を我が身に課しました。彼女が置かれていた状況は、まさに「ゴリラの姿」そのものでした。

先ほど、「はからずも」という言葉は「好機到来」を示したものだと書きました。バイブルの論理では、これは「摂理」という「目に見えない神の手」が働いたのだ、ということになります。私たちの人生にも、単に偶然とは思えないような出来事が起こる場合があります。
畑の所有者であるボアズという人は、ナオミの夫の親戚に当たる人で、その村の有力者でした。単に資産家というだけでなく、バイブルをよく理解し、人格的にも優れた人物であったということです。また、当時のユダヤの律法(法律)により、ルツと再婚する権利を持っていた親戚でもあります。
この二人は落ち穂拾いの畑で出会い、やがて結婚に導かれます。実はこの結婚は、世界の歴史を変えるほどのインパクトを持ったものでした。二人にオベデという名の息子が誕生します。そしてオベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれるのです。ダビデというのは、イスラエルの王として黄金時代を築き上げるようになるあのダビデのことです。ダビデから見ると、ルツは曾祖母に当たります。

話は飛びますが、バイブルに出てくるイエス・キリストの系図を見ると、イエスはダビデの子孫として誕生しています。キリストというギリシア語は、ヘブル語ではメシア(油注がれた者)です。イエス・キリストという名は、イエスという人物が人類のメシア(救い主)として誕生したということを示しています。
イエス・キリストの系図を注意深く調べてみると、非ユダヤ人であるルツの名がその中に登場しているのが分かります。ルツは、好機を見事に捉え、イエス・キリストの先祖としてその名を後世に留めたのです。

「時と機会」は、誰にでもやって来ます。しかし、好機が到来していることを見抜き、それ掴み取る人は稀です。逆風の中に好機到来の兆しを見る人は、決してへこたれることがありません。

この章のポイント

1. 好機は、往々にして「ゴリラの縫いぐるみ」を着てやって来る。
2. 積極思考は、好機を捉える力である。
3. 逆風が吹いた時、そこに好機到来の兆しを見るべし。