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今日の聖書の言葉

キリストは、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。

紀元57〜58年頃のローマ世界

使徒パウロ

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです(ガラテヤ1:4)

descent_from_the_Crossイエスは、紀元30年にエルサレムで十字架刑に処されました。罪名は「ローマ帝国に対する反逆罪」です。初めて聖書を読んだときの私の疑問、「処刑された人の死が、なぜ私たちの罪のために自身を捨てたと言えるのか。まして、十字架に手足を釘づけにされるなんて、キリスト教は何とも血なまぐさい宗教だなあ」。しかし、クリスチャンの人たちにはそんな野蛮な気配はないし、むしろ、こんなに穏やかで平安な人生があるのだ、と驚きでした。この不思議なギャップが私を信仰探求へと向かわせたのかもしれません。

イエスの死が単なる刑死ではなく、「ご自身を捨てた」と言えるのか、次の4点を見たいと思います。①ローマ法に照らして無罪、②モーセの律法に照らして無罪、③逮捕処刑を避ける力はあったのにそれをしなかった、そして、④通常の死に方ではなかった、です。

① ローマ法に照らして無罪であった

まず、新約聖書のはじめの4つの福音書を読むと、イエスは本来、無罪だったとわかります。裁判官はローマ人の総督ピラト、彼は、ユダヤ人指導者たちがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていました(マタイ27:18)。ローマ法に照らして無罪を宣告すること3回(ルカ23:22)、途中休廷してヘロデに移送するとそこでも無罪(ルカ23:15)、さらにピラトは恩赦の提案もしますが、ユダヤ人指導者たちが背後で糸を引いていた群衆は納得しません。

そこでピラトは、イエスを鞭打ちの刑に処し、背中も顔も皮膚が破れ、肉が削げたイエスの非惨な姿を見せて群衆を静めようとし、かつ4回目の無罪宣告をしました(ヨハネ19:1〜5)が、それもだめ。ついに総督は、騒乱に発展しないように、イエスの十字架処刑を決定しました。朝一番に始まった裁判、刑執行開始は午前9時、何とも理不尽なスピード裁判です。

② モーセの律法に照らして無罪であった

次に、ユダヤ人指導者たちがイエスを殺そうとまで憎み、ローマの裁判にまで訴えたのは、イエスに何か落ち度があったのか、という点です。福音書には、「イエスが安息日を破って病人を癒した」という記事が多く出てくるのです。

当時のユダヤ人にとって、最高規範は旧約聖書のモーセの律法です。そこには、安息日に仕事をしてはならないとは規定されていますが、病気を癒すことも仕事にあたる、などという規定はありません。そちらは、当時のユダヤ教の伝統の中で作られた口伝律法にありました。イエスが破ったのは、この口伝律法です。形式化し、本来の安息日の意味をはき違えていたユダヤ教の教えに、イエスは反対したのです。そういうわけで、モーセの律法に照らしても、イエスは無罪でした。

③ 逮捕処刑を避ける力はあったのに、それをしなかった

三つ目に、イエスには逮捕を避ける力があったのに、それを行使しなかったという点です。エルサレムの町の城壁から外に出たところにゲッセマネの園という場所があります。イエスはそこで祈っていました。そこに、ローマ軍1個大隊(百人隊が6個)とユダヤ人の役人がイエスを逮捕するためにやってきます。

イエスは出て来て、彼らに「だれを捜すのか」と問う、彼らは「ナザレ人イエスを」と答える。ナザレ人とはイエスの出身地ガリラヤ地方のナザレ村のことです。イエスは彼らに「それはわたしです」と言われました。ヨハネの福音書は、このイエスのことばを再度強調してこのように記録しています。「イエスが彼らに、『それはわたしです』と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。」(ヨハネ18:6)

普通なら「わたしがナザレ人イエスです。」と言うところを、イエスは「それは『わたしです』」と言いました。『わたしです』の部分は、『わたしはある』とも訳せます。これは、聖書の神のお名前です(出3:14)。つまり、「イエスは、主なる神である」と言われたのです。このことばの威光によって、数百人の兵士たちがあとずさりして、あおむけに倒れました。にもかかわらず、イエスは再度彼らに呼びかけて彼らを起こし、自ら逮捕されました。裁判でもイエスは黙して語らず、静かに刑を受けました。

④ 通常の死に方ではなかった

四つ目に、イエスの十字架上の死は、通常の死に方ではなかったということです。それは一つに短時間で死に至っている点、二つに体から「血と水」が出たという点です。この「血と水」については種々の解釈がありますが、私なりにひとつの考え方をご紹介します。

イエスは十字架にかかって短時間で死に至りました。十字架刑というのは本来、長時間苦しめて殺す処刑方法です。死因は失血死ではなく、窒息死です。手足を釘づけにしてつるされると、体の重みで気道がふさがり、息が苦しくなります。足や腰を木に押し付けて体の重みを少しでも支え続けられるかぎりは生きて苦しみ、数日その状態が続くこともあったそうです。ところが、イエスは午前9時に十字架に上げられ、午後3時に息を引き取りました。

あまりの早さに総督のピラトは驚いて、ローマ軍の百人隊長に確認します(マルコ15:44〜45)。百人隊長はそうと報告します。彼はイエスの正面に立っていました(マルコ15:39)。息を引き取るのを見ただけではありません。兵士のうちのひとりが、イエスのわき腹を槍で突き刺しました。すると、「ただちに血と水が出てきた」(ヨハネ19:34)のです。これは戦場を経験して幾多の敵のわき腹を突いてきた兵士には、異常な光景です。わき腹から水が出るというのはあり得ません。そのため、ヨハネの福音書はわざわざ次のように記録しています。

それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。(ヨハネ19:35)

腹から水が出るとは、十字架にかかる半年前、秋の祭でイエスが大声で宣言したことば、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から(直訳は、その人の腹から)、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:38)を思い起こします。あるいは出エジプト記、荒野で岩が裂けて水が湧き出た史実を連想します。岩はキリストの象徴です(Ⅰコリ10:4)。

イエスの死に際を見た百人隊長は、その日12時から午後3時まで日食が起きて全地が暗くなったことや、イエスが息を引き取った午後3時に岩が裂けるほどの地震が起きたことなども合わせて、非常な恐れを感じ、イエスについて「この方はまことに神の子であった」(マタイ27:54)と言いました。

まとめ

以上の4点から、イエスの死が単なる刑死ではなく、「ご自身を捨てた」と言えることがわかります。この事件の約700年前に、イザヤは次のように預言しています。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。
しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。(イザヤ53:7〜10)

イエス・キリストは、たしかにご自分のいのちを私たちの罪のためのいけにえとしてくださいました。それは、主のみこころによったのです。あなたがそれを信じるならば、あなたは、イエスとともに天の神を父と呼ぶことができます。天からの豊かな祝福があなたの上にありますようにお祈りします。

清水 誠一

この記事の執筆者

清水 誠一

熊本聖書フォーラム代表

清水 誠一

1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。