2022
08.22
Q.313 罪責感とは何ですか。(1)
テキストで読む
Q.質問
Q:自分が罪人だと感じる程度は、人によって違うと思います。罪責感について、私の理解は不十分だと思いますので、教えてください。
A.回答
A:はじめに
これは非常に重要なテーマです。罪責感について、3回にわたってお話したいと思います。初回は、罪責と罪責感の違いについて、いつものように3つ申し上げます。
1番目に、罪責と罪責感は別のものです。
(1)罪責とは、有罪状態にあるということです。
①人は、ある規範や法律に違反したとき、有罪となります。
②有罪であるかどうかは、その人の感情とは無関係です。
(2)罪責感とは、自分は有罪であると感じたときに抱く感情です。
①有罪であっても罪責感を抱かない人もいます。
②また、有罪ではないのに、罪責感を抱く人もいます。
(3)罪責感の薄い人は、自分が救われる必要があるとは考えません。
①日本にクリスチャンが少ない理由は、ここにあるのかもしれません。
2番目に、アダムとエバの体験を見てみましょう。
(1)創世記3章には、アダムとエバの堕落が描かれています。
①彼らは、唯一禁止されていた「善悪の知識の木」から取って食べました。
②その結果、彼らは神の前から姿を隠すようになりました。
(2)このケースでは、罪責と罪責感が同時に現れています。
①アダムとエバは、神の禁止令を破ったので有罪となりました。
②自分の体をイチジクの葉で覆ったのは、その瞬間に罪責感を抱いたからです。
3番目に、神はただちに解決法を用意されました。
(1)神は、アダムとエバのために皮の衣を作って、彼らに着せられました。
①皮の衣は、動物の血によって罪責が覆われることを示しています。
(2)この皮の衣は、イエス・キリストの贖いの死を予表しています。
①キリストは、十字架上で血を流すことによって、「義の衣」を用意されました。
②動物の血は不完全ですが、キリストの血は完ぺきです。
(3)滅びからの救いは、イエス・キリストを救い主と信じることによって得られます。
①その人は、「義の衣」を着せられたのです。
②その人は、神の子とされたのです。
③その人は、永遠のいのちを与えられたのです。
参考になる聖句
「神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた」(創世記3:21)
罪責と罪責感は、別のものです。