神という存在がいるという事は信じていると思います。ですが、イエス様が私の罪の代わりに十字架に架けられ墓に葬られ3日後に復活なさったという福音をしっかりと確信を持って信じ切れません。頭では理解出来ている気がしますが、心からの理解には達していないような気がします。
イエス様を心の底から信じられるようになるにはどうしたらいいのでしょうか。
救いを受け取る信仰の決断は「自分の意思による選び」です。
「心の理解」がついてくるのは、その後の歩みの中で少しずつ体験させていただくものです。もちろん信じたその場で体験できる人もいますが、さらに深い神の世界はやはり時間をかけて知っていくものです。「心の理解」は自力ではできないので、聖霊なる神の働きによってなされます。救いを「決断」で受け取った時に、聖霊が内側に与えられ、聖霊の働きによって、神のみことばと神の栄光(神のすばらしさ)が体験的にわかるようになります。
信じたいという思いがあるのはすばらしいことです。それでしたら、あとは決断するだけです。イエス・キリストの福音に人生をかけてみようと「意思による選択」をするのです。もちろん、決心した後も、全く迷いもなく、100%神に従える人間などいないのですが「イエス・キリストに従って生きたい」という願い(信仰)と、神のあわれみによって、足りない部分は十字架の上で流されたイエスの血によって赦されるのです。
信じたい!と思っても、どうすれば人は信じられるようになるのか?というテーマは私の中でも大きな課題でした。けれども「神を信じる」ということも、「神を愛する」ということも「神と向かい合うことだ」とわかった時に、信仰を育てる方法とクリスチャンとして生きる方向性が見えてきました。これは信仰の決心をする前も、決心をした後も、何十年もクリスチャン生活をしてきたとしても、すべての人間に共通していることです。「今日、私は神と向かい合って生きるのか」という決断を毎日していくのです。
本気でやってみると、神と向き合うというのはとても恐ろしいことなのですが、これが神が望んでおられることなのです。ぜひ生きている神と真正面から向かい合うということに挑戦してみてください。具体的には、祈る時、聖書を読む時に、そのような心構えで臨むということです。また、生活の中でふとした時に神に心を向けることです。何をするにも神の御前で生活をすることです。真正面から向かい合えないなら、すこし顔を向け始めるところからのスタートでもOKです。
信仰の決心をするのは、高いところから飛び降りるようなものです。片足をだしていても、ジャンプにはならないので、全体重をえいっ!と神の方に委ねないといけないのです。もし、まだ飛び込めないのでしたら、まず、神と向かい合ってみるところからスタートしてみてください。顔を向けることによって神が見えるようになります。そして、神が見えると、この方になら人生をあずけられることが解って、飛び込むことができるようになります。
答えた人:中川洋(ハーベスト・タイムUSA)