これは、福音を聞く機会がないままで死んだ人はどうなるか?というご質問と似ていますね。聖書にはこの件について、キリっと書かれた箇所があります。「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(ローマ1:20)
弁解の余地無し?!なぜそうなのか、さらに詳しい解説を聞いてみましょう。
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Q. 質問
ザビエルが日本にキリスト教を布教する前に亡くなった日本人(先祖)は、皆地獄に行くのですか。
A. 回答
これは、福音を聞く機会がないままで死んだ人はどうなるかという質問と同じです。
いつものように3つ申し上げます。
1.すべての人に、神に関するなんらかの情報が与えられています。
(1)神は、自然界を通してご自身を啓示されました。
(2)神は、良心を通してご自身を啓示されました。
2.人は、神の啓示を無視し神に背を向けました。
(1)人は、自分で作り出した神でない神々を礼拝するようになりました。
(2)ですから、責任は神にではなく人の側にあります。
3.裁きの基準は、与えられている啓示の量によります。
(1)福音を聞くことなしに死んだ人は、別の基準で裁かれます。
(2)今の私たちは、福音を信じることによって救われます。
(3)もし人が真剣に神を求めるなら、神はご自身をその人に示されます。
①神は、天使、夢、宣教師などお用いになります。
(4)人は、すでに死んだ人について断定的なことを言うべきではありません。
①その人の最後がどうなったかは、神とその人しか知りません。
参考になる聖句
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(ロマ1:20)
私たちには、弁解の余地がありません。
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