熊本聖書フォーラム代表
清水 誠一
1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。
聖書入門.com > 聖書の言葉 > 気持ちや心に関すること > 将来が不安なとき > その人は、何をしても栄える。
今日の聖書の言葉
紀元前10世紀頃のイスラエル
ダビデ王
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩編1:1〜3)
私たちにとって、幸せとは何でしょうか。愛する家族の中にあって、夕食のテーブルを囲むこと。今日一日の汗をお風呂でさっぱりと流して、冷たいビールをぐっと飲むこと。もちろん、そういう日常生活のひとつひとつに人の幸せがあります。
でも、人生には悲しくつらい時があります。家族との別れ、失業、ビールも買えないほどの困窮、買えても飲めないほどの病気、・・・自分からは幸せが遠くに行ってしまったかのように思える時です。幸せが、恵まれた家族や仕事や健康を持つことだとしたら、それらは必ず失われるものであり、私たちは誰もが必ず不幸になってしまいます。
聖書の中の巻「詩篇」は、「幸いなことよ」で始まります。何が幸せだというのでしょうか。「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」です。幸せとは、人の外側にあるものではなく、その人の心の中にあるというのです。
「悪者」、「罪人」、「あざける者」、この三つはどれも同じ心を持った人を指しています。「あざける」とは、神様をあざけることです。神などいない、神のおしえなんか関係ない、と思っている人が、聖書では「悪者」、「罪人」です。
しかし、人は皆、元々「罪人」です。挫折や苦難に出会い、高ぶっていた心が砕かれてはじめて、「神様が本当にいるのなら、どうか助けてください」と神様を求めるようになります。そのときが、幸せの入口です。
神様に背を向けた生き方から方向転換して、神様の方に向き直ると、なんと、すでに神様からは救いの手がのばされていたことに驚きます。その救いの約束のことばが、「主のおしえ」です。神様は裏切りません。約束を必ず守る真実なお方です。ですから、「主のおしえ」を喜びとし、昼も夜もその約束を口ずさんで、神様をほめたたえるのです。
そのようになれば、「時が来ると実がなり、その葉は枯れない」、「何をしても栄える」と約束されています。あなたも、決して失われることのない本当の幸せを受け取られますように。
この記事の執筆者
熊本聖書フォーラム代表
清水 誠一
1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。
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今まで、神を信じなくても楽しく生きてきました。どうして神を信じる必要があるのですか?(3分でわかる!聖書#40)