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今日の聖書の言葉

どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

紀元55年頃のローマ世界

使徒パウロ

ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか(Ⅰコリント15:12)

これは、使徒パウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙の一節です。コリントの教会は、パウロが大変な苦労をしながら伝道旅行をし、その中で生まれた教会のひとつでした。パウロがコリントの人々に最も大切なこととして伝えたのは、「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」(Ⅰコリ15:3〜4)でした。キリストの死と葬りと復活の3つを信じること、これが福音の三要素です。

ところが、コリントの教会の中に、「死者の復活はない」と主張する人々が出てきました。パウロはここで、「もし、〜なら、〜である」という表現を3つ組み合わせたものを2回繰り返して、反論しています。

  1回目(15:13〜15) 2回目(15:16〜19)
もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかった もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかった
もし、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになる もし、キリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいる。そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまった
もし、死者の復活がないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずだが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って偽証をした者となる もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者である

これは、反語的論法といって、反対のことをわざと言って、通常の表現をするより強い調子の主張をするときに使います。通常の表現にすると次のようになります。

  1回目(15:13〜15) 2回目(15:16〜19)
キリストが復活したのだから、死者も復活する キリストがよみがえったのだから、死者もよみがえる
キリストの復活は、私たちの宣教の実質であり、あなたがたの信仰の実質である キリストがよみがえったことを信じる信仰をあなたがたが持ったので、あなたがたはもはや自分の罪の中にいない。また、キリストにあって眠った者たちは滅びから救われている
神は死者の復活をもたらすために、キリストをよみがえらせたのであって、私たちは見た通りの正しい証言をしている 私たちは、次の世につながるたしかな希望(=死者の復活)をキリストに置いている者である。

表の② 1回目を見ていただくと、キリストの復活を信じることは、「信仰の実質」と言われています。その意味は、②の2回目で説明されています。キリストの復活を信じる人は、「もはや自分の罪の中にいない」と約束されているのです。

表の③をご覧ください。罪の問題が解決された人に用意されているのは、「死者の復活」です。それは、神の国に入ることです。聖書では「この世」(15:19)に対することばは、「次の世」(ルカ20:35)です。死後の世界を意味する「あの世」ではありません。キリストが地上に戻り、キリストが王となって支配する神の国です。この世の次に来る世(時代)です。キリストを信じる者は、死者の中からよみがえって、神の国の民となるという希望を持つ者です。

清水 誠一

この記事の執筆者

清水 誠一

熊本聖書フォーラム代表

清水 誠一

1955年生まれ。静岡県出身。
1981年熊本大院卒。
税理士事務所、日本IBMに勤務ののち、1995年より熊本市に在住、現職は会社役員。
20代で右翼思想から転向して、米国バプテスト教会宣教師より受洗。
30代でペンテコステ系神学に傾倒するも挫折、ガン病棟を経験。
40代は仕事に没頭、家庭崩壊と離婚の危機。
50代で聖書を読み直す。
2013年より熊本聖書フォーラム開始、現在に至る。
2014年7月ハーベスト聖書塾卒。