第5課「幼子として」(前半)

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」(Ⅰペテロ2:2)

クリスチャンになるためには、新しく生まれなければなりません。クリスチャンは、新しい生き方を始めた霊的な幼子です。神さまが私たちに期待しておられるのは、幼子から成人へと成長していくことです。(セッション前半)


第5課の絵の概念

第5課「幼子として」

1. 幼子:クリスチャンは、霊的な幼子です。

(1)おむつをしている幼子:不完全な姿
(2)おしゃぶりをしている幼子:抜けきらない古い習慣

2. 母親:神さまは、幼子の成長を期待されます。

(1)幼子を抱く母親:神さまは、現実の姿を受け止めてくださいます。
(2)成人した幼子の姿:神さまは、可能性に目を留めてくださいます。

3. 哺乳びん:幼子は、みことばの乳で成長します。

(1)第1のびん:聖書に何が書かれてあるか発見する。
(2)第2のびん:それが、どういう意味か解釈する。
(3)第3のびん:自分の状況に適用する。

4. 5 羽の鳩:幼子は、祈りという霊の呼吸で成長します。

(1)第1の鳩(親指):呼びかけ
(2)第2の鳩(人差し指):賛美
(3)第3の鳩(中指):自分の必要
(4)第4の鳩(薬指):罪の赦し
(5)第5の鳩(小指):悪からの守り

スピーカー:中川健一

聖書箇所:Ⅰペテロ2:2

収録日:20080825

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イントロダクション

人はどのようにしてクリスチャンになるのでしょうか。洗礼を受けたからといって、また、教会に出席しているからといって、それだけでクリスチャンになるわけではありません。
 クリスチャンになるためには、新しく生まれなければなりません。それは、イエス・キリストを心に迎え入れることです。神のことば(聖書)の約束の確かさにより、たとえその人が新生したことを感じられなくても、新しいいのちに一歩踏み出したのです。それは、たとえて言えば、赤子が生まれたと感じなくても生まれているのと同じです。また、信仰の決心をいつしたのか分からないが、確かに信じている方がおられます。不安に思わなくても大丈夫です。誕生日が分からないからといって、生まれていないわけではないのです。


1. クリスチャンは、霊的な幼子です。

 クリスチャンは、新しい生き方を始めた霊的な幼子です。神さまが私たちに期待しておられるのは、幼子から成人へと成長していくことです。

(1)不完全な姿
 幼子は、おむつが取れるまでには、3年近くもかかります。おむつをしているからといって、異常なわけではありません。それが普通なのです。しかし、私たちは、クリスチャン生活について、かなり間違った考え方をし、救われたばかりの人に対して過大な期待を寄せていることはないでしょうか。また、自分に関しても、救われた後の姿が以前とあまり変わっていないことに心を痛め、救いの確信さえも疑ってしまうことはないでしょうか。
 そのような誤解は、クリスチャンが霊的な幼子であることを理解していないところからやってきます。

(2)抜けきらない古い習慣
 私たちは古い習慣からなかなか抜け出すことができません。部屋の模様替えをした後、つい以前家具のあったところに体が動いてしまうことがあります。クリスチャンとして成長し、古い習慣から抜け出すには、時が必要です。

 

2. 神さまは、幼子の成長を期待されます。

 神さまは、私たちが成長するために、さまざまな訓練をお与えになります。それは人間の親子関係の場合と同じです。

「そして、あなた方に向かって子供に対するように語られたこの勧めを忘れています。『わが子よ。主の凝らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛するものを懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなた方を子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか」(ヘブル12:5〜7)

(1)神さまは、現実の姿を受け止めてくださいます。
(2)神さまは、可能性に目を留めてくださいます。

 この2つのポイントをしっかりと心にとめておくことが大切です。イエスがペテロを召されたときのことばはこれです。

「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。『あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします』」(ヨハネ1:42)

 イエスは現実の姿を知り、「あなたはヨハネの子シモンです」と言われました。しかし、それと同時に彼の内にある可能性にも目を留め、「あなたをケパ(岩という意味)と呼ぶことにします」とも言われたのです。

 

3. 幼子は、みことばの乳で成長します。

 肉体が、外から摂取した食物によって出来上がっているように、私たちの内なる人(霊性)も、みことばの乳によって出来上がってきます。次に述べる3つの点は、聖書を読んでいく上での基本的なステップです。聖書解釈学というものは、それ自体が科学であり、芸術ですので、限られたスペースですべてを書き尽くすことはできませんが、解釈学の基本を知っておくだけで、大きな助けになります。

(1)聖書に何が書かれてあるか発見する(What does it say?)。
 ここで一番大切なことは、普通の本を読むように読むことです。何か特別な文章でも読むような恐れを感じる必要はありません。

(2)それが、どういう意味か解釈する(What does it mean?)。
 次にしなければならないことは、解釈です。現代人と聖書には3つのへだたりがあります。
  ・時間的へだたり
  ・地理的へだたり
  ・文化的へだたり

 このへだたりを越えなければ、本当の意味を解釈することができません。正しい理解のためには、次の2点を念頭に置いておくことが大切です。
  ・著者はここで何を意図しているか。
  ・それを聞いた当時の人々はどう理解したか。
 正しい解釈を助けるために、注解書、参考書、牧師の説教、などから学ぶ習慣を身につけましょう。

(3)自分の状況に適用する(What does it mean to me?)。
 聖書研究の目的は、まだ知らない真理を発見し、それを体験し、それに基づいて行動を開始することです。

祈ってみよう!

イエス・キリストを心に受け入れるにはどうしたらいい?

今、聖書に書かれている神の救いを、自分のものとして受け取りたいと思いますか?受け取る方法は簡単です!
神様がただ一つの救いの方法として示しておられる、イエス・キリストを心に迎える祈りをしてみましょう。あなたが良い人間である必要も、あなたが頑張り屋である必要もありません。祈り方はボタンをクリック!