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今日の聖書の言葉

2018

05.20

#172 どうして色々な教派があるのですか。

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編集Mは長年、教会の看板に「〇〇派」などと書いてあるのをなぜかなぁと思いながら過ごしていました。良いご質問をありがとうございます! 同じキリスト教会でも、教派が違うと何が違うのか、「派」が異なることで何か軋轢があるものなのか?さっそく解説をご覧ください。

 

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Q. 質問

Q:あるクリスチャンの方が、「あそこの教会は〇〇派だから合わない」と言うのを聞いたことがあります。異端は別として、同じ神を礼拝するクリスチャン同士なのですから、「あそこは〇〇派だから」と線を引くべきではないと思います。なぜキリスト教にはこんなにも色々な教派があるのですか。

A. 回答

A:この方は、大変バランス感覚に優れた方だと思います。キリスト教の教派について論じる際には、いわゆる異端は除外しておく必要があります。それを前提に、いつものように3つ申し上げます。

1番目に、教派の歴史を遡ると、宗教改革に行き着きます。

宗教改革とは、16世紀に起こったローマ・カトリック教会を改革しようとする一連の試みのことです。その結果、プロテスタントと呼ばれるグループがカトリック教会から分離し、さらに、そこから4つの主要な教派が誕生しました。①ルーテル派、②改革派、③アナバプテスト、④聖公会がそれです。時の経過とともに、この④つの教派から、より多くの新しい教派が派生して行きました。

2番目に、教派の存在は必ずしも悪いものではありません。

ほとんどの教派は、基本的な教理に関しては、共通認識を持っています。つまり、救いに関する教理や、キリストの理解に関しては、同じ立場に立っているということです。色々な教派が誕生する理由は、主要教理以外のところで意見の相違が生じるからです。例を上げると、洗礼の形式、聖餐式への参加資格、神の主権と人間の自由意志の関係、などがそれです。これらの相違は、いわば「小さな相違」であり、互いを受け入れ合う寛容な態度が求められるものです。教派の存在は、信者の一致を破壊するものではなく、キリストの教会の多様性を示すものです。

3番目に、教派主義の危険性に注意しましょう。

教派は良いものですが、教派主義は危険なものです。神学的理解の違いを教派間で議論するのは、健全な態度です。しかし、自分たちの教派だけが正しいと主張し、他の教派を排斥するのは、誤った態度です。私はこれを教派主義と呼びたいと思います。教派間の違いには、教理の違い以外に、礼拝や賛美の形式の違いも含まれます。礼拝や賛美に関しては、各教派が、それぞれの歴史的、文化的文脈の中で、自分に最も相応しいものを選ぶ権利があります。その権利を否定するなら、それは悪しき教派主義に陥っていることになります。

キリストを信じて救われている人は、どの教派に属していようとも、実は「ひとつの教会」に属しているのです。これを普遍的教会と言います。

参考になる聖句

 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」 (エペソ4:16)

キリストを信じている人は、実は「ひとつの教会」に属しているのです。