レシピ13 「自己受容」の法則

米国で牧師をしている知人の体験談です。
ある時彼は、大学生を前にメッセージを語ったそうです。集会が終わると、一人の学生がやってきてこう言いました。
「先生は、なぜ僕のことを憎むのですか」
驚いたその牧師は、
「えっ?君に会ったのは今が初めてですよ。私が君を憎むはずがありません」と答えました。すると、
「だって、先生はメッセージの間中、僕に対して指を差していたではありませんか」との言葉が返ってきました。ついにその牧師は、
「それは誤解だよ。私は君を憎んではいない。それどころか、君を愛しているよ」と言ったそうです。

この大学生の問題はなんでしょうか。彼は極度に傷つきやすい状態にあります。あるがままの自分を受け入れることができず、自信を失っています。突き詰めれば、自己受容ができていない状態にあると言えます。「自己受容」とは、あるがままの自分を受け入れるということです。これは諦めや怠惰とは違います。いくら誠実に生きようと努力しても、失敗することの多い私たちです。その不完全な自分を等身大で受け入れる能力が、「自己受容」です。

症状

自己受容ができていないと、良い人間関係を育てるのが難しくなります。冒頭の例にあるように、そのような人は傷つきやすく、いつも自分が批判されているかのような思いにとらわれています。つまり、「マイナスの自意識」が過剰なのです。その結果、自己防衛本能が働いて、他者に対して攻撃的になります。自己受容ができていない人の傍にいるのは、時として危険なことです。理由もなしに、攻撃されるようなことが起こり得るからです。
自己受容ができていないと、それが外観や健康に表われるようになります。バイブルは、

「心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ」

と教えています。

原因

では、なぜ自己受容ができないのでしょうか。
多くの場合、子ども時代の体験がその原因になっています。両親から評価されなかったり、言葉の攻撃を受けたりした場合、心に傷が残ります。幼くして親を亡くしたり、両親が離婚したりしために、親の愛を経験せずに育った場合も同様です。そのような人は、満たされるべき箇所に満たしがないので、いつも不安に襲われています。

米国に、ビル・グラスという元プロ・フットボール選手がいます。彼は今、「チャンピオンズ・フォー・ライフ」というキリスト教伝道団体を主宰し、刑務所伝道に取り組んでいます。彼によれば、現代のアメリカ社会の最大の問題点は、「父の祝福」が欠如していることだといいます。この点では、日本の社会も大差ないと思います。
最近アメリカでは、小都市の学校で、銃を持った生徒が級友たちを射殺するという事件が相次いで起こっています(ケンタッキー州パデューカ、ミシシッピ州パール、コロラド州リトルトンなど)。FBI(連邦捜査局)は、それらの事件を起こした未成年者17人の精神鑑定を行ない、「彼らに共通した要因はたった一つしかない。それは、父親との関係に問題があるということである」との結論を出しています。
ビル・グラスによれば、それは何も驚くようなことではないそうです。彼の経験によれば、父親との歪んだ関係は子どもを怒らせ、やがてその子を粗野で危険な人物に育て上げるといいます。まことに、父親の責任は重大です。

常に他者との比較でしか自分を評価するすべを知らない人も問題です。日本の社会には、単一の基準で成功か失敗かを判断する傾向がありますので、自分なりの価値基準を持っていない人は、世の流行に押し流され、いつも脅迫概念を抱きながら生きることになります。

解決策

では、どのようにすれば「自己受容」が可能になるのでしょうか。
先ず、自分の人生を自分の手に取り戻すことです。つまり、他者の目を通して自分を評価することを止め、自分自身の価値観に基づいて生き始めるのです。そのためには、手本となる人を回りに捜す必要があります。注意して観察すれば、必ず、他者の評価を気にせず、自分なりの人生を生き生きと歩んでいる人がいるはずです。必ずしも著名な人、裕福な人、世に言う成功者でなくてもいいのです。むしろ、いわゆる「市井の人」の中に手本となる人が多くいるはずです。

幼少時代に失ったものをどのようにして取り戻せばよいでしょうか。時間を逆に回して、昔に戻ることはできませんが、大人となった自分の目を通して「幼い自分」を再評価することはできます。次のバイブルの教えは、自分を再評価するための強力な手助けとなります。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

この言葉によって励ましを受けた人がどれほどいるか、想像もつかないほどです。「あなたは駄目だ、のろい、できが悪い」などと罵倒され続けてきた人にとっては、まさに革命的な言葉です。「私のことをバイブルは高価で尊いと評価している」と思っただけで、胸を張って生きることができるようになります。

もう一つ重要なことがあります。それは、罪責感の問題です。罪の意識を持っていては、本当の意味での「自己受容」ができません。人間というのは、動物と違って本質的に道徳的、倫理的存在です。つまり、心の中に良心が与えられているということです。その良心が日々私たちを責め立てるのです。罪責感を持っている人は、心の中で自分を憎み、自分を裁いています。自分が嫌いだから、他人ともうまくやっていけないのです。

罪責感を拭い去るために、人間はさまざまな方法を考えてきました。忘却という方法がありますが、忘れようとすればするほど、過去の失敗や罪が自分を責めてくるものです。また、他者との比較という方法もあります。しかし、あの人よりは自分の方がまだましだといくら言い聞かせても、良心の呵責は収まりません。善行を積むという方法もあります。この場合も、善行を積めば積むほど、自分が偽善者のように思えて苦しむことになります。

結局のところ、人間には有効な罪責感の処理法がないのです。バイブルは、私たちの内側にある罪責感を処理する方法を教えています。

「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」

これを平易な言葉に置き換えると、こうなります。
「神は汚れのないイエス・キリストの背中に私たちの罪をすべて負わせて、十字架に付けた。その結果、私たちの罪は取り去られ、私たちは罪責感から解放された」
バイブルは、「あなたの罪は赦された」と上から宣言することによって、私たちが抱えている罪責感の問題を解決してくれるのです。

この章のポイント

1.  人間関係がうまく行かない原因は、自己受容ができていないことにある。
2.  バイブルの言葉によって、自分の価値を再認識せよ。
3.  バイブルの言葉によって、罪責感の問題を解決せよ。