レシピ5 「失敗学」の法則

定義

先ず、『失敗学』という言葉(学問)を定義しておきましょう。
「『失敗学』とは、過去の失敗の例をデータベース化し、それを社会の発展のために役立てる方策を研究する学問である」
ここで大切なことは、データベース化された情報が、社会全体の共有財産となるということです。

『失敗学』という名称は、評論家の立花隆氏が命名者であると言われています。
『失敗学』の日本での先駆者は、畑村洋太郎氏(工学院大学教授、東京大学名誉教授、工学博士)です。畑村氏は、2001年に畑村創造工学研究所を個人開設し、『失敗学』の研究に取り組む決意を表明しています。ちなみに、畑村氏を中心としたNPO団体「失敗学会」が、2001年12月に設立されています。

畑村氏は、失敗に関して以下のような主張を展開しています。
「失敗には、未知との遭遇による『いい失敗』と、『人間の怠慢による悪い失敗』の2つがある。重要なのは、不可避である『いい失敗』から物事の新しい側面を発見し、仮想失敗体験をすることで『悪い失敗』を最小限に抑えることである。失敗や事故が隠蔽され、教訓として生かされないまま同じことが繰り返されるなら、社会的な損失は計り知れない」
実に示唆に富んだ発言です。

聖書は『失敗学』の教科書

驚くべきことに、バイブルは「いい失敗」と「悪い失敗」の両方の例を記録しています。つまり、バイブルはデータベース化された『失敗学』の教科書だということです。バイブルに登場する人たちの失敗例を研究し、それを教訓として「悪い失敗」を最小限に抑えることこそ、私たちがなすべきことです。

誰もが悩むのが、人間関係です。『失敗学』の原則は、社会的大事件だけでなく日常生活の些細なことにも適用される原則です。要は、私たちの側に、先人が残した教訓から学ぶ姿勢があるかどうかです。そういう意味では、バイブルの中の『箴言』を失敗学の教科書として読むと、面白いかもしれません。『箴言』は、サバイバル・マニュアルであると同時に、生活の知恵の書でもあります。

私たち日本人には、人間関係でつまずくと自分の殻に引きこもり、関係を断絶させることで問題解決を図る傾向があります。一見問題が解決したように見えても、これでは何も解決していません。そこで、失敗学の観点から、いくつかの教訓を学んでみたいと思います。

1. 感情的に反応しない。
人間関係で問題が起こっても、すぐに感情的に反応しないことです。これは難しいことですが、非常に大切な点です。感情的に反応すると、すべての関係が瞬時に終わってしまいます。後には、嫌な思い出以外、何も残りません。そのためには、自らの感情を抑制する訓練を日頃からしておく必要があります。

2. 原因を明らかにする。
 問題の原因を明らかにしましょう。原因究明が難しくなる理由は、責任追及と原因究明とを混同するからです。
日本人の感覚では、「まあまあ、そこまで言わなくても」と、つい言いたくなります。その結果、本当は何が問題であったのかが明確にならないまま、一件落着になってしまいます。この段階で感情的になるなら、それはまさに責任追及と原因究明とを混同していることになり、そこから教訓を導き出すことは不可能になります。冷静な目が必要です。

3. 将来、同じ過ちを犯さない方策を考える。
原因が明らかになれば、では今後どうすればよいかが明確になります。その過程で、自らの自己中心性が示される場合もあるでしょう。その場合は、自己反省、あるいは悔い改めが必要となります。
人間関係が上手な人は、過去の失敗例を自分の中でデータベース化し、それを意図的に利用している人でしょう。最初から人間関係が上手だという人は極めて例外的です。良好な人間関係を保つ方法は、試行錯誤を繰り返して初めて身に付くものです。よい人間関係は、方策を学び、それを実行することによって作り上げられるものです。

4. 自分を赦すことを学ぶ。
一度失敗すると、いつまでも立ち直れないで苦しむ人がいます。いつまでも自分を責めるのは、不毛な行為です。反省したなら、その後は自分を赦して立ち上がることが大切です。
バイブルに登場する偉人の一人に、アブラハムという人物がいます。彼は、ユダヤ教徒からも、キリスト教徒からも、またイスラム教徒からも、「信仰の父」として崇められ、慕われています。それほど高い評価を得ているアブラハムでも、やはり失敗を犯すことがありました。ある時、彼は飢饉を避けるために「約束の地」を離れて、食物の豊かなエジプトに下ったことがありました。その地で彼は、自分の妻サラを妹だと偽りました。サラが美人だったため、彼女が妻であることが分かると、夫である自分は殺されるかもしれないと恐れたからです。その結果、妻のサラはパロの後宮に連れ去られることになりました。そのまま行けば、アブラハムはサラを失っていたことでしょう。しかし、危機一髪のところで神の介入があり、彼は愛する妻を取り戻すことができました。アブラハムはこの失敗から、次のような教訓を学びました。

*本来いるべき場所から離れるのは、危険なことである。
*小さなウソでも、大きな被害をもたらすことになる。
*心から悔い改めるなら、もう一度やり直すことができる。

挫折があるのが人生

バイブルの中には、アブラハム以外にも、失敗し挫折した偉人がたくさんいます。
出エジプトのリーダーとなったモーセも、40歳の時に挫折を経験しています。

ダビデも姦淫を犯して挫折し、最後は神の前で悔い改めの祈りをしています。その時にダビデが作った詩がこれです。

「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」

エリヤという預言者も、異教の預言者たちとの戦いで大勝利を収めた後、自殺願望を抱くほどに落ち込んでいます。

新約聖書では、初代教会に指導者となったペテロが大失敗から立ち直っています。ペテロを立ち上がらせたイエスの言葉はこれです。

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」

ローマ世界にキリスト教を広める役割を果たしたパウロもまた、挫折から立ち上がった人でした。

彼らは皆、挫折体験を積極的な方向に生かし、後世に偉大な業績を残すようになりました。一度も挫折体験がない人生など、あり得ません。

1800年代半ば、アメリカにこういう男がいました。
青年時代に、田舎で苦労して店を出したが、経営不振で閉店。
器材を買って測量技師の仕事を始めたが、それにも失敗。器材を売り払っても借金が残った。
元手いらずの仕事を探して、軍隊に志願。運よく隊長に任命されたが、すぐに兵卒に降格となり、最後は除隊処分。
愛する女性と婚約にまでこぎつけて喜んでいたが、相手は急死。
苦労のすえ独学で弁護士になったが、開店休業状態。
正義心が篤かったので政治家になる決心をしたが、立候補するたびに落選。その後も、落ちたり当選したりを繰り返していたが、ついにアメリカ合衆国大統領に選ばれる。
この男の名は、奴隷解放の立役者となったアブラハム・リンカーン(1809‐65)です。

失敗の中にこそ「成功の種」があることを知るべきです。

この章のポイント

1.「いい失敗」と「悪い失敗」を区別せよ。 
2. 失敗の原因追及と、責任追及を区別せよ。 
3. 自分を赦すことを実行せよ。