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今日の聖書の言葉

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

紀元前950~700年

ソロモン王

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。(箴言16:18)

「これからどうしていけばいいんだろな」。大学卒業を控えた4回生の冬、私は最寄り駅の前の通りを歩きながら、そうつぶやいていました。

当時、私は失意のどん底にありました。その年の秋に受けた外交官試験に失敗し、人生の目標を失いかけていたからです。

その時に見知らぬ外国人に手渡されたのが、教会の英会話教室のチラシでした。1か月4000円という授業料の安さにひかれ、私は毎週日曜日の英会話レッスンのために教会に通うようになりました。ただし、レッスンの受講には一つの条件がありました。レッスンの後、牧師が聖書から語るメッセージを聞かなければならない、というものでした。メッセージは英語で行われ、日本語に訳されるバイリンガル形式でしたので、英語の勉強にもなると思い、私は抵抗なく聖書のメッセージに耳を傾けるようになりました。

教会のメッセージは、初めは英語の聞き取りとしてしか興味がなかったのですが、そのうちに内容が少しずつ心に入ってくるようになり、時には心動かされるメッセージに出会うこともありました。そのうちのひとつが、「The Greatest Sin(最大の罪)」というタイトルのメッセージです。牧師によると、その最大の罪とは「高慢」でした。その時に知ったのが、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」という箴言16:18の言葉です。

この聖句を読んだ時、私は頭を殴られたような衝撃を受けました。この聖書の言葉は、自分の状況をそっくりそのまま言い当てている、と感じたからです。

外交官を目指していた私は、口では「国のため」と言いながら、心の中は「自分の名を歴史のどこかに残したい」という功名心や、「自分は人よりも優れていることを証明したい」という高慢な思いでいっぱいでした。身の丈にあった生き方をすればいいのに、高慢な思いにとらわれてつまずき倒れた自分の状態を、この聖句に見透かされた気がしたのです。

また、教会に来るまで、自分は良い人だと思っていました。しかし、聖書の言葉を通して心の中をのぞいてみると、汚い思いであふれていることに気付かされました。そのことに気付かされた言葉の一つが次の言葉です。

(イエスは)また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:20~23)

こうした聖句を読むにつれ、認めたくはないが、自分が聖書の言う「罪人」であることを認めざるをえませんでした。将来の目標を見失って失意のどん底にあったことに加え、自分の心の汚さを見せられ、私の心は粉々に砕かれました。

しかし、聖書の言葉は心を打ち砕くだけでは終わりません。次のような言葉もあるからです。

【主】は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。(詩篇34:18)

今この言葉を読み返すと、神はこの聖句でされたご自分の約束に実に忠実であったことを思わされ、感謝があふれます。私はその後聖書を通読し、これが神の言葉でないなら私はほかの何ものをも信じることができないだろうと思うに至り、聖書が救い主と教えるイエス・キリストを信じてクリスチャンになりました。そして、見失っていた人生の目標を、神のために生きることに見出したのです。

この世は、上へ上へ、人を追い越していくようにと駆り立てます。しかし聖書は、キリストが十字架にかかった後、よみに下られたように、低きに下ることの祝福を教えています。つまずき倒れたその先に、自分が知らなかった世界を見出すこともあるのです。

失意の中にあった私にとって、箴言16:18は心に痛い言葉でした。しかし同時に、人生の再出発をする契機となった、生涯忘れられない言葉にもなったのです。

ハーベスト・タイム スタッフ
佐野剛史

佐野 剛史

この記事の執筆者

ハーベスト・タイム 外部スタッフ
翻訳担当

佐野 剛史

1971年生まれ。大阪府守口市出身。 1993年同志社大学法学部卒。 1994年受洗。 新聞配達、アメリカ大学日本校の通訳・事務職を経て、奈良市の翻訳会社に就職。 2000年からはフリーランス翻訳者。 2008年にハーベスト・タイムのスタッフとなる。 2011年4月ハーベスト聖書塾卒。 現在フリーランス翻訳者として活躍中。

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神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます(ヘブル4:12)